三位一体 第十四主日礼拝 2026.8.30
聖書箇所: マタイの福音書25章1-13節
説 教 題: 「花婿を迎える十人の娘」
説 教 者: 辻林 和己師
そこで、天の御国は、それぞれともしびを持って花婿を迎えに出る、十人の娘にたとえることができます。…ですから、目を覚ましていなさい。その日、その時をあなたがたは知らないのですから。 マタイの福音書25章1、13節 (p52)
序 論)主イエスは世の終わりとご自身の再臨について弟子たちに語られました。(24章4-51節)
続いて主は天の御国と再臨に対しての備えについてたとえで語られます。
「花婿を迎える十人の娘」のたとえを通して示さされることは…
1.油を用意していた五人の娘
このたとえの中の「十人の娘たち」(1)の「娘」は英語ではbridesmaid(ブライズメイド)のことです。英和辞書では「花嫁介添人、花嫁付添人」と訳されています。花嫁に付添い、身の回りの世話等をする人です。
当時のユダヤでは、結婚式は夜、盛大に行われていました。花婿は夜、友人たちと共に花婿を迎えに行き、ブライズメイドたちの持つ明かりで花嫁の家から花婿の家まで行進しました。
彼女たちのうち五人は予備の油を用意していましたが、他の五人は用意していませんでした。(2-4)
花婿の到着が遅れ、娘たちは皆、寝入ってしまいます。(5)
ところが、夜中になって花婿が到着すると叫び声がありました。(6)
予備の油を用意していなかった五人の娘たちは、他の五人に油を分けてくれるように頼みますが、彼女たちは断りました。(7-9)
行列の途中で自分たちの明かりが全部消えてしまわないために、やむを得ませんでした。
それで五人の娘たちは、店に油を買いに行きました。(10) (祝いの日は遅い時間でも店を開けてくれた。)
しかし、彼女たちが買いに行っている間に花婿は来て、一行は花婿の家に向かい、婚礼の祝宴が始まりました。(10)
油を用意していた娘たちは、祝宴に入れました。
その後、「戸が閉じられ」ました。(10) (妨害者を防ぐため鍵もかけられていた。)
油を用意していなかった娘たちは、花婿の家に入れませんでした。(11-12)
2、目を覚ましていなさい
このたとえでは、再臨される主イエスが花婿に、キリスト者が十人の娘たちにたとえられています。
花婿が来るのが遅くなり、十人共、「眠くなり寝入って」しまいました。(5)
これは、再臨信仰が弱くなってしまうことを表していると考えられます。
あるいは、信仰を持った最初の喜びがだんだん薄くなっていくことを示しているのかもしれません。
では、油は何を意味しているでしょうか。
信仰、聖霊、祈り、救いの恵み等と解することができます。これらはどれも「神の恵み」です。
「五人の愚かな娘たち」は、日々、神様に祈り、みことばを聞くことを怠ってしまい、聖霊によって共におられる主イエスに心を向けることを忘れてしまう私たちの姿を示していると受け止めることができます。
油を他の人から分けてもらえないことは、主イエスへの信仰や再臨の主をお迎えする備えは各自がするもので、誰か他の者に代わってもらうことはできないことを示しています。
神の賜物は、神のみことばに従い、神様に祈り求めることにより、恵みによってのみ与えられます。
「戸が閉じられる」(10)ことは、父なる神様が定めておられる終わりの日のさばきがあることを暗示しています。
結 論)私たちも十人の娘のように「眠くなり、寝入ってしまう」(5)ことがあり、時には再臨がないかのように過ごしてしまう弱い者です。
そのような私たちのためにも主イエスは十字架で死なれ、復活してくださいました。
このたとえを語られた主は、最後に「ですから、目を覚ましていなさい。…」(13)と警告されました。
ここでの「目を覚ましている」は、主イエスの十字架と復活による罪の赦しの恵みを土台とし、「その日、その時」(主の再臨の時)を待ち望みつつ歩むことです。
また天地のすべてをご支配しておられる主イエスに信頼し、父なる神様に祈ることでもあります。
主の再臨に希望を置き、待ち望みつつ歩みましょう。
