マタイの福音書23章25~39節

三位一体 第九主日礼拝          2026.7.26
聖書箇所: マタイの福音書23章25-39節
説 教 題: 「内側のきよめと主の嘆き」
説 教 者:     辻林 和己師

わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、内側は強欲と放縦で満ちている。
目の見えないパリサイ人。まず、杯の内側をきよめよ。そうすれば外側もきよくなる。
    マタイの福音書23章25-26節 (p49)

序 論)宮(神殿)におられた主イエスは、律法学者、パリサイ人たちに向かって、「わざわいだ」と言われ、彼らの偽善の罪を厳しく指摘されました。
 さらに主は彼らに語られます。
 主のみことばを通して示されることは…

1.外側と内側
 パリサイ人たちは、「杯や皿の外側」(25)は几帳面にきよめながら、心は罪に汚れていました。
 それで、主イエスは「杯の内側をきよめよ。そうすれば外側もきよくなる。」(26)と言われます。
 人の心がきよくなれば、行いもきよくなるからです。
 同じことを、主イエスは「白く塗った墓」(27)にたとえて語られます。
 旧約では、墓に触れる者は七日間、汚れるとされていました。(民数記19章16節p275)
 ユダヤの地では、過越祭が近づくと、巡礼者が知らずに墓に触れて汚れを受けることがないように、エルサレムとその周辺の墓を白く塗っていました。(27a)
 主は墓にたとえてパリサイ人たちの内側(心)の偽善と不法を指摘されます。(27b-28)
 彼らは「預言者たちの墓を建て、義人たちの記念碑を飾って」(29)外面的には神様が遣わされた預言者たちを敬う態度を示していました。
 もし、自分たちがその時代に生きていたら、先祖たちのようには預言者を迫害することに加担しなかっただろうと信じていたのです。(30)
 しかし、主イエスは彼らを「預言者たちを殺した者たちの子ら(子孫)」であると告発されます。(31)
 彼らの心は先祖たちと同じように神に対する反逆の思いに満ちていました。
 それ故に、彼らは今、神様が遣わされた救い主イエス様を受け入れず、亡き者にしようと企んでいました。
 こうして彼らは、「自分の先祖の罪の升を満たそう」(先祖が犯した罪を完成しよう)(32)としていました。

2、エルサレムのために嘆かれた
 主イエスはパリサイ人たちの偽善の罪を指摘され、さばきを告げられます。(33)
 「ゲヘナの刑罰」(33)は、神様との交わりが断たれている場所に置かれることです。
 主イエスが遣わすと言われる「預言者、知者、律法学者」(34)は、ここでは主の弟子たちのことです。
 弟子たちの中には、迫害を受けたり、殉教する者もいました。
 「義人アベルの血」(35)は、旧約聖書の最初に記されている殺人を指して言われています。(創世記4章8-12節p6)
 「バラキヤの子ザカリヤの血」(35)は、ヘブル語旧約聖書の最後に置かれている歴代誌 第二 24章20-22節(p791)に記されている出来事を指して言われています。(歴代誌には「祭司エホヤダの子ゼカリヤ」と記されている。)
 旧約の最初から最後まで義人を迫害したイスラエルの歴史は、その「罪の升」(32)が「この時代」(36)に満たされ、エルサレム崩壊の時が近づいていました。
 律法学者やパリサイ人たちに厳しい叱責とさばきのことばを語られた後、主イエスは「エルサレム、エルサレム」と、涙の叫びと呼びかけをされました。(37)
 エルサレムの人々は「預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者」(37)たちでした。
 そのような人々を、主は見捨てることなく、「めんどりがひなを翼の下に集めるように」、「何度」も集めようとされたのです。
 「おまえたちの家」(38)は、エルサレム神殿のことです。
 神殿が破壊される日が来ると、主は予告されました。
 39節には、詩篇118篇26節(p1059)のことばが引用されています。
 エルサレムの人々のことを思い、招かれた主イエスは今も、私たちを招いておられます。

結 論)私たちも、パリサイ人たちのように妬みなどの悪しき思いに振り回され、形だけの礼拝になり、聖書のことばによって隣人をさばいてしまうようなことはないでしょうか。
 私たちの力ではそれらの思いや罪に打ち勝つことはできません。また自分の内側(心)をきよめることはできません。それは主イエスの十字架の血と聖霊の力によります。
 キリストによる愛の注ぎと謙遜の心を内にいただくとき、私たちの内にもあるパリサイ人のような罪の心が変えられ、きよめられるのです。
 永遠の師である主イエスにならい、主によってきよめられつつ歩みましょう。