三位一体 第四主日礼拝 2026.6.21
聖書箇所: マタイの福音書22章34-40節
説 教 題: 「神を愛し、隣人を愛しなさい」
説 教 者: 辻林 和己師
イエスは彼に言われた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。』
これが、重要な第一の戒めです。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』という第二の戒めも、それと同じように重要です。この二つの戒めに律法と預言者の全体がかかっているのです。」マタイの福音書22章37-40節 (p47)
序 論)サドカイ人(びと)(23)は、主イエスに復活について質問しました。(24-28)
主は彼らに答えられます。(29-32)
それを聞いた彼らは何も言えなくなってしまいました。
その後、起こった出来事と主のみことばを通して示されることは…
1.律法の中で一番重要な戒め
パリサイ人たちが、一緒に集まり、これからどうするかを相談します。(34)
彼らのうちの一人、律法の専門家が主イエスに尋ねました。(35)
主を「試そうとして」とあるように、彼らはその答えを聞き、それをきっかけに主を陥れようとしたのでしょう。
パリサイ人たちの心の内は主イエスに対する敵意と憎しみに満ちていました。
「律法の専門家」(35)は、道徳的律法、祭儀的律法、合計613あると言われる戒めに通じていた人でした。
彼は、主イエスに「…、律法の中でどの戒めが一番重要ですか。」と質問しました。(36)
主イエスは、彼に答えられます。(37-38)
37節は、申命記6章5節(p325)の引用です。この聖句は申命記6章4節の「聞け」(「聞きなさい」新改訳) へブル語では「シェマ」)で始まっているので、ユダヤ人はこの聖句を「シェマ」と呼んでいました。
ユダヤ教の会堂では礼拝のたびごとにこのシェマを唱え、人々は日に二回それを唱えていました。子どもたちはこの聖句を最初に暗記しました。
パリサイ人たちは、シェマを門の右柱に記し、またこれを記した小さな羊皮紙を箱に納めて、ひもで額と左腕に結びつけていました。(申命記6章8-9節p326) (この「聖句を入れる小箱」は「経札」(きょうふだ)とも訳されている。マタイの福音書23章5節(p48)参照)
2、神への愛と隣人愛
主イエスは同様に大切な戒めとして、レビ記19章18節(p212)と19章34節(p213)を引用なさいました。(39)
第二の戒めも第一の戒めと同じように大切です。神様への愛と隣人愛は切り離すことができません。
この二つの戒めで、すべての律法と預言者(預言書)が要約できると主イエスは仰いました。(40)
ここでの「律法と預言者の全体」は、旧約聖書全体のことです。
十戒に照らして考えるなら、「第一の戒め」は第一から第四までの戒めの要約で、「第二の戒め」は第五から第十までの要約です。
十戒の前半(四つの戒め)は神様への全き愛、後半(六つの戒め)は隣人を自分のように愛する愛を集約しているとも言えます。 (出エジプト記20章1-17節(p134)『新聖歌』巻末の交読文47(口語訳)p864参照)
結 論)マルティン・ルターは今回の聖書箇所の説教の中で第一の戒めについて次のように語っています。
「この戒めによって、全世界は罪のもとに閉じ込められた。…言い逃れする術なく、われわれが神を愛していないということが明らかになった。われわれはこの戒めの、ほんのひとかけらでも実現していないことに気づかなければならない。」
私たちは、生まれつき、神を愛し、隣人を愛することができない罪ある者です。
このような罪人である私たちを主イエスは愛され、十字架でご自身のいのちを捨ててくださいました。
主イエスの十字架の死と復活によって私たちは罪赦されました。そして主イエスを信じる者の心に聖霊によって神の愛が注がれるのです。(ローマ人への手紙5章5節p304)
主を信じ、愛し、主との交わりを深めることを通し、私たちは神を愛し、隣人を愛する者へと少しずつ変えられていくのです。
(参考)
「ハイデルベルク信仰問答」問5と答え
「あなたはこれらすべてのこと(第一と第二の戒め) を完全に行うことができますか。」
「できません。なぜなら、わたしは神と自分の隣人を憎む方(ほう)へと、生まれつき心が傾いているからです。」
