三位一体 第三主日礼拝 2026.6.14
聖書箇所: マタイの福音書22章23-33節
説 教 題: 「生きている者の神」
説 教 者: 辻林 和己師
死人の復活については、神があなたがたにこう語られたのを読んだことがないのですか。『わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です。」マタイの福音書22章31-32節 (p47)
序 論)サドカイ人(びと)(23)は、ユダヤ教諸派の中では少数派でしたが、富裕階級に属していました。
彼らが、主イエスのもとに来て質問します。(23)
それに対して、主が答えられたことばを通して示されることは…
1.復活の時には
サドカイ人は、旧約聖書の中でモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)だけを権威ある神の言葉として受け入れていました。
また彼らは、死者の復活には否定的でした。(23)
彼らは、申命記25章5-10節(358)をもとに主イエスに質問します。(24)
それは、ある人(女性)が結婚し、子どもがいないまま、夫が先立った場合、その夫の兄弟、あるいは近親者がその女性を妻にするという律法でした。(25)長男と弟たち六人が次々に彼女と結婚しましたが、皆、死にました。(26)やがてその女性も死に、復活するとき、「…彼女は七人のうちの誰の妻になるのでしょうか。…」とサドカイ人は主イエスに尋ねました。(27-28)
彼らの意図は、このとき周りにいた人たちに、復活を信じることは愚かなことだと思わせ、主イエスの権威を貶めることでした。
主イエスは彼らに答えられます。(29)
ここで言われている「聖書」は、旧約聖書のことです。
サドカイ人たちは、復活は死んだ者が、現在と同じ肉体を持ち続けることだと思い違いをしていました。
主イエスは彼らは「神の力」を知らないと、言われます。(29)
神の力によって変えられることにより、復活の時には人は「めとることも嫁ぐこともなく、天の御使いたちのよう」だと仰いました。(30)
復活の時に開かれる新しい天と地は、今の肉の世界の続きではありません。全く新しい世界です。
2、神に対して生きている者
続いて、主イエスは「死人の復活」について語られます。(31)
主イエスは、パリサイ人たちが信じるモーセ五書から、出エジプト記3章6節(p102)を引用して語られました。(32a)
ここは、ホレブの山の中にいたモーセが燃えているのに燃え尽きない柴を見ることを通して、主なる神様とお出会いする場面です。
神様は、モーセに「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」とご自身のことを語られました。
ここで、神様は彼らとの関係が「…であった」(過去形)ではなく、「…である」(現在形)と語られています。
モーセにとって、イスラエルの民の先祖(族長)であるアブラハム、イサク、ヤコブは数百年以上前に地上の生涯を終えた人たちです。では、なぜ神様はこのように言われたのでしょう。
その答えは次の主イエスの「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神です」ということばに示されています。(32b)
アブラハム、イサク、ヤコブは神様を信じ、神様と共に地上の生涯を歩みました。(創世記17章1節p23等)
彼らは、今も、天において神様と共に「生きている者」なのです。
主イエスの答えを聞いたサドカイ人はこれ以上、何も言えなかったことでしょう。群衆は、主の教えに驚嘆しました。(33)
結 論)罪のために私たちは神様から離れ、神様との交わりを失ってしまいました。
そのような私たちを罪から救い、神に対して生きる者とするため、神様は御子イエス様を地上に送ってくださいました。
そして、主イエスは十字架で死なれ、復活されたのです。
それによって、私たちは、キリスト・イエスににあって「…神に対して生きている者」とされています。 (ローマ人への手紙6章10-11節p306)
主イエスを神の御子、救い主と信じ、従う私たちは、今このとき、神様との交わりの中に生かされている者です。
地上で歩むときも、天の御国に移されるときも、私たちは永遠のいのちに生かされているのです。
父なる神様は、今、私たちの神であり、私の神であられます。
これからも神様との交わり、主イエスとの交わりの中に生かされ、歩んでいきましょう。
