三位一体 第二主日礼拝 2026.6.7
聖書箇所: マタイの福音書22章15―22節
説 教 題: 「神のものは神に」
説 教 者: 辻林 和己師
イエスは彼らに言われた。「これはだれの肖像と銘ですか。」彼らは「カエサルのです」と言った。そのときイエスは言われた。「それなら、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい。」マタイの福音書22章20-21節 (p46)
序 論)主イエスは、宗教指導者たちにたとえを話されました。(21章28節~22章14節)
主はたとえを通して彼らにご自身が神の御子であることを示そうとされたのです。
主イエスを受け入れないパリサイ人たちは主を捕えるため画策します。(15)
主と彼らのやりとり、主のことばを通して示されることは…
1.主は彼らの悪意を見抜かれ、罪を指摘される
パリサイ人たちは神の民(ユダヤの民)は、異邦人の侵略者ローマに税を納めるべきではないと考えていました。
一方「ヘロデ党の者たち」(16a)は、ヘロデ王朝に従順であり、ローマによるユダヤの統治にも協力的でした。
ここでは反ローマのパリサイ人の弟子たちが親ローマのヘロデ党の者たちと一緒に主イエスのもとに来て尋ねます。(16a)
まず彼らは主イエスにお世辞を言います。(16bcd)
そして、「カエサル」(ローマ皇帝)(当時の皇帝はティベリィウス。ルカの福音書3章1節p113)への税金を納めることについて質問しました。(17)
もし、主イエスがカエサルへの納税を「律法にかなっている」と答えたら、反ローマの民衆の支持を失うことになります。
逆に「かなっていない」と言えば、親ローマのヘロデ党の者たちが主イエスを訴える口実を作ることになります。
これは、パリサイ人たちが主を陥れようと企んだ「ことばの罠」(15)でした。
彼らは、主イエスが「…真実な方で、…」と言いながら、悪いことを考え、ことばの罠を仕掛けました。
主イエスは「彼らの悪意を見抜いて」、「…、偽善者たち。…」と言われ、彼らの罪を指摘されました。(18)
2、人は神のかたちとして創造された
主イエスは当時、貨幣として用いられていた「デナリ銀貨」をご自身のもとに持って来るよう、命じられます。(19)
そして、その銀貨に「だれの肖像と銘」が刻まれているかを尋ねられました。(20)
彼らは、「カエサルのです」と答えます。(21a)
そこには、ローマ皇帝の像が刻まれ、「神にして大祭司」と銘打ってありました。
人を「神」とすることは、当時の敬虔なユダヤ人にとって神に対する冒瀆と思われました。
主イエスは「…カエサルのものはカエサルに」返すよう言われます。(21bc)
ここでの「返す」という言葉には「負い目がある」という意味が含まれています。
彼らがデナリ銀貨を日常、用いているならローマの統治下にあることを示していますから、納税という形で、国家に返す必要があります。
さらに主イエスは「神のものは神に返しなさい」(21c) と仰られました。
銀貨にはその所有を示す肖像と銘が記されていますが、人は神のかたちに創造された被造物です。(創世記1章26-27節p2)
「返す」とは、それを本来の持ち主に返すということです。私たちは、自分が神様の似姿に刻まれた「神のかたち」であり「神のもの」であることを認め、その自分を神に返すことを求められています。
信仰とは、神様のものを神様にお返しすることであり、神様のもとに立ち帰ることです。
パリサイ人たちは、主イエスのことばに驚嘆し、主のもとから立ち去りました。(22)
結 論)主イエスを受け入れず、何とか陥れようと企むパリサイ人やヘロデ党の者たちの言行は、神様から離れ、罪ある者(罪人)の姿を示しています。
主イエスは、そのような罪ある私たちを救い、神様のもとに立ち帰らせるために地上に来られ、十字架で死に、復活されたのです。 (ペテロの手紙 第一 2章21-25節p468)
主イエスを信じ、従う私たちは「イエス・キリストのもの」であり、神のものとされています。(ローマ人への手紙1章6節p297)
国家、市町村、それぞれが所属する組織の中で、果たすべき責任を、みこころに従って果たしていくことができるよう祈り求めつつ、主イエスを信じ、従う「神のものを神に返す」信仰に生き続けてまいりましょう。
(参考)
米国の硬貨に刻まれている銘(言葉)
In God We trust (我らは神を信ず)
内村鑑三(1861-1930)のお墓に刻まれている英文の言葉
I for Japan, (我は日本のため)
Japan for the World, (日本は世界のため)
The World for Christ, (世界はキリストのため)
And all for God. (そして、すべては神のために)
『ハイデルベルク信仰問答』
問一 生きている時も、死ぬ時も、あなたのただ一つの慰めは、何ですか。
答え わたしが、身も魂も、生きている時も、死ぬ時も、わたしのものではなく、わたしの真実なる
救い主イエス・キリストのものであることであります。(竹森満佐一訳)
