ヨハネの福音書20章19~31節

復活節 第三主日礼拝             2026.4.19
聖書箇所: ヨハネの福音書20章19-31節
説 教 題:  「私の主、私の神よ」
説 教 者:     辻林 和己師

トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」 ヨハネの福音書20章28-29節 (p228)

序 論)週の初めの日(日曜日)の朝、復活された主イエスはマグダラのマリアに御姿を現わされました。(11-18)
 同じ日の夕方、主イエスは弟子たちにも御姿を現わされました。その時と、それから一週間後に起こった出来事を通して示されることは…

1、主は平安を与えられ、遣わされる
 弟子たちは、主イエスを失ってしまったという失意と自分たちも逮捕されないかと恐れでいっぱいでした。それで、彼らは戸を閉じて家の中にこもっていました。(19a)
 そこに主イエスは入って来られ、彼らの真ん中に立たれます。そして、「平安があなたがたにあるように」と言われました。(19bc)
 主を見た弟子たちは喜びました。(20)
 主イエスは弟子たちを遣わす、と言われます。(21)
 主は弟子たちに息を吹きかけられ、聖霊を与えられました。(22)
 彼らに託された使命は、罪の赦しの宣言です。(23)「罪は赦される」、「罪はそのまま残る」の原文の二つの動詞は両方とも受け身形です。神様が罪を赦され、また神様が罪をそのままになさる、という意味です。
 ここでの弟子たちの権威は、神様から託されたものでした。
 私たちにも、いろいろな不安や恐れがあります。主イエスはそのような私たちにご自分から御声をかけて下さり、平安を与えてくださいます。
 「わたしはあなたがたに平安を残します。わたしの平安を与えます。わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。あなたがたは心を騒がせてはなりません。ひるんではなりません。」(ヨハネの福音書14章27節p215)

2、主はご自身を信じるように招いておられる
 ところが、弟子のトマスは、復活の主イエスが他の弟子たちに御姿を現わされたときその場にいませんでした。(24)
 トマスは弟子たちから主イエスの復活の知らせを聞いてもそれを信じませんでした。(25) 彼は心の中で思ったことをすぐ正直に口に出して言ってしまう人だったかもしれません。 (参考:doubting Thomas  トマスのような疑い深い人) (ヨハネの福音書11章16節p205、14章5節p213)
 「ハ日後」(26)は、この場合、1週間後の日曜日のことです。その時、復活された主イエスが弟子たちと、トマスに御姿を現わされました。そして、トマスにご自身の御傷を示されたのです。(26-27)
 主イエスは「…信じない者ではなく、信じる者になりなさい」(27)とトマスに呼びかけられました。
 トマスは、「私の主、私の神よ」と主イエスが神であることをはっきり告白しました。(28)
 主イエスこそ神であり、自分はこのお方、真の神に僕(しもべ)として喜んでお仕えする、との信仰告白でした
 彼の告白は後の教会の信徒信条や信仰告白の原点の一つとなりました。
 主イエスはトマスに「あなたはわたしを見たから信じたのですか。」(29)と問われます。他の弟子たちも復活の主を見るまでは信じることができませんでした。
 トマスは他の弟子たちの言葉によるだけでは、復活の主を信じることができませんでした。
 トマスや他の弟子たちのように、復活の主イエスを見ることが出来た人たちは幸いですが、この後、聖書の言葉を聞いて主を信じる人たちも幸いなのです。(ペテロの手紙 第一 1章8-9節p465)

結 論) 私たちのために十字架にかかり、復活された主イエスは、今も聖霊により聖書の言葉を通して私たち一人ひとりを訪ねて来てくださり、語りかけてくださっています。
 そして、ご自身を信じるように、今も招いておられます。
 福音書記者ヨハネは、この福音書を書いた目的を記しています。(31)
 主イエスを神の御子、私の救い主と信じる者は罪赦され、永遠のいのちに生かされるのです。
 主イエスに「あなたは神の御子、私の救い主です」と信仰告白しましょう。
 主は、信仰が与えられた私たちを、今、それぞれの場所に遣わしておられます。主との交わりを持ちつつ、主のご愛と恵みに満たされて生活し、主を証してまいりましょう。

(参考)
  『聖トマスの不信』(カラヴァッジオ(1571-1610)
                  イタリアの画家)
  『再会』(エルンスト・バルラハ(1870-1938)
                                   ドイツの彫刻家)