三位一体 第一主日 2026.5.31
聖書箇所: 使徒の働き2章14―21節
説 教 題: 「わたしの霊を注ぐ」
説 教 者: 辻林 和己師
「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。その日わたしは、わたしのしもべにも、はしためにも、わたしの霊を注ぐ。すると彼らは預言する。…」 使徒2章17-18節 (p.234)
序 論)ペンテコステ(五旬節)の日、聖霊が120名ほどの弟子たちの上にとどまったとき、彼らは今まで学んだことのない言葉で話し出しました。(4) 色々な国々からエルサレムに来ていた敬虔なユダヤ教徒たちは、自分の国の言葉で「神の大きなみわざ」(11)が述べられるのを聞きます。
その後、11人の弟子と共に立ち上がったペテロは、人々に語りかけます。
ペテロの説教の前半で示されることは…
1.すべての人に聖霊が注がれる
「朝の九時」(15)は、ユダヤ人にとって朝の祈りのときでした。ペテロは、これらの不思議な出来事がどうして起こったのかをヨエル書を引用して語ります。17-21節はヨエル書2章28-32節(p.1556)の引用です。「終わりの日」(17)は、直訳すると「終わりの日々」となります。一日だけでなく、続いていく日々のことです。
主イエスの成された救いのみわざによって、それまでと全く違う新しい時代、終わりの日々がやってきました。今の私たちも終わりの日々の中に生かされているのです。
ペテロが語っているのは、主イエスによる最終的な救い、完全な救いです。救いに関して、新たに加えられるものはないのです。
そして、神様の「わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。」(17)との約束が、ペンテコステの時に実現しました。聖霊降臨がまさに終わりの日の到来の始まりを意味しています。
聖霊が注がれることにより、すべての人が神の恵みの言葉を自由に語る新しい時代が始まりました。(17-18)
主イエスを信じる者には、聖霊によって、神の霊が心に注がれ続けるのです。
「この希望は失望に終わることはありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。」(ローマ人への手紙5章5節p304)
2、主の名を呼び求める者は、みな救われる
19~20節は、今後、起こる終末的現象を預言していると解釈されています。
また、「太陽は闇に」(20)は、主イエスが十字架にかかられたとき、太陽が暗くなったことを示していると受け止めることもできます。(そのとき、過越の満月が血のように赤く映った、という言い伝えがある。)(マタイの福音書27章45節p62)
「主の御名を呼び求める者はみな救われる」(21) は、ヨエル書2章32節(p1556)の引用ですが、同じ箇所を使徒パウロも引用しています。(ローマ人への手紙10章13節p314)
ここでの「主の御名」は、イエス・キリストの御名のことです。だれでも主イエスを、神の御子、救い主と信じ、告白する者は、罪から救われるのです。
ペテロは、続いて主イエスの十字架の死と復活を語ります。(22-24)
彼は、イスラエルの人々に向かって、「あなたがたは…」と言い、主イエスを十字架につけた彼らの罪を指摘しました(23)。
しかし、神様はイエス様の十字架の苦しみと死によって、すべての人の罪を赦し、イエス様を復活させられました。(24)
イスラエルの人たち(私たち全人類の代表)が主イエスを十字架にかけてしまいましたが、父なる神様が復活させてくださったのです。
神様がイエス・キリストの十字架と復活によってなされた私たちの救い、これは神様が成され、保証してくださっていますから、これほど確かな救いはないのです。
結 論)聖霊降臨日(ペンテコステ)以降、今も、「わたしの霊」(聖霊)は、すべての人に注がれ続けています。
それは、主の救いの恵みがすべての人に届くためです。
聖霊は、私たちが主イエスと出会い、救われるように今も働きかけておられます。
聖霊の力とお働きによって、私たちは主とお出会いし、信じ救われる恵みにあずかりました。
主イエスを知った今が救いの日であり、恵みの時なのです。(コリント人への手紙 第二 6章2節p362)
これからも聖霊に導かれ、主イエスと共に進んでまいりましょう。
