四旬節 第2主日礼拝 2026.3.1
聖書箇所: マタイの福音書21章23-32節
説 教 題: 「天からの権威」
説 教 者: 辻林 和己師
イエスは彼らに答えられた。「わたしも一言尋ねましょう。それにあなたがたが答えるなら、わたしも、何の権威によってこれらのことをしているのか言いましょう。ヨハネのバプテスマは、どこから来たものですか。天からですか、それとも人からですか。」マタイの福音書21章24-25ab節 (p.43)
序 論)主イエスは、エルサレムに入城された二日後、「宮きよめ」をなさいました。(12-17)
そのことについて、祭司長たちや民の長老たちが主に詰問します。(23)
主イエスと彼らのやりとりと主の語られたたとえを通して示されることは…
1、主への問いと主からの問い
祭司長や長老たちは議会を代表し、主イエスに「何の権威によって」(23)、宮(神殿)から商売人を追い出したのか、そして宮で教えているのかを問いました。
彼らは、主を律法に反する者として訴えようとしていました。
しかし、主イエスは、逆に彼らに尋ねられます。(24-25ab)
主は、洗礼者ヨハネのバプテスマ(洗礼)の権威について質問されました。そのことによって、間接的にご自身の権威を示そうとされたのです。
それを聞いた祭司長たちは、論じ合います。(25cd-26)
もし、自分たちがヨハネのバプテスマの権威は、「天から」(すなわち神から)と答えれば、ヨハネは主イエスの先駆者なので、主が神からのメシア(救い主)であることを認めることになります。(25cd)
反対に、ヨハネの働きを「人から出た」(神からのものでない)とすると群衆の怒りをかうことになります。(26a)
人々はヨハネを神からの預言者と信じていたからです。 (26b)
祭司長たちは答えに窮(きゅう)し、「分かりません」と返事をしました。(27a)
それを聞かれた主イエスも、ご自身の権威のよりどころについて答えられませんでした。(27bc)
彼らは、ヨハネのことばや証しに耳を傾けようとしませんでした。そのような彼らに主は真実を語ろうとはなさらなかったのです。
2、思い直して(悔い改めて)、神の国へ
続いて、主イエスは「二人の息子のたとえ」を話されます。(28-30)
そして、祭司長たちに尋ねられました。(31a)
主に対して心を閉ざしていた彼らも、語られたたとえの巧みさに、「兄です」と口を開かずにはいられませんでした。(31bc)
それは結論的には、自分たち自身の罪を認めることになることばでした。
最初、ぶどう園に行くことを拒み、父を悲しませた兄息子でしたが、「後になって思い直し、出かけて行き」ました。(28c-29) そこで働いたのです。
「取税人や遊女たち」(31f)はこの兄にたとえられています。そして、「ある人」(父)(28)は神様のたとえです。
主イエスは彼らの方が「…先に神の国に入ります。」と言われます。(31def)
彼らは、ヨハネの示した「義の道」(32a)、悔い改めの教えを受け入れ、ヨハネが証しした主イエスに従いました。
反対に、一度は行くことを承諾しながらも実際には行かなかった弟息子(30)は、神様に従わない祭司長たち(ユダヤ教指導者たち)の姿を示しています。
彼らは、表面的には宗教的敬虔さを装いながら心は神様から離れていました。(マタイの福音書15章8節p30)
彼らはヨハネのことばに耳を傾けず、悔い改めようとしませんでした。(32)
このとき、主イエスは、彼らも神の国に入ることを願われ、招いておられたのです。(31f)
しかし、彼らはそれに応じようとせず、かえって主に対する敵意を増していきました。
結 論) 主イエスは、神のもとから来られた救い主です。
主が十字架で死なれ、復活された後、弟子たちにご自身の権威(神からの権威)を宣言されました。(マタイの福音書28章18-20節p64)
今も、主イエスはすべての人が悔い改め、神のみもとに立ち帰ることを願って、一人ひとりに語りかけ、招いておられます。
自分の罪が示されたときは、悔い改めて、十字架の主を仰ぎましょう。
最初は、ユダヤ教指導者たちは、主イエスに問いかけていましたが、その後、逆に主イエスに問いかけられました。 (24ab)
主イエスが彼らに問いかけられたように、今も神様と主は私たちの心に聖書のみことばを通して語りかけ、問いかけておられます。
主のことばを聞き取り、応答しつつ、主に従う歩みを続けてまいりましょう。
