復活節 第七主日礼拝 2026.5.17
聖書箇所: ヨハネの福音書4章1-15節
説 教 題: 「主が与えてくださる水」
説 教 者: 辻林 和己師
イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、 永遠のいのちへの水が湧き出ます。」
ヨハネの福音書4章13-14節 (p182)
序 論)主イエスを信じ、従う弟子たちの数が増えていきます。それを伝え聞いたパリサイ人たちの主に対する反感が次第に強くなっていきました。(1-2)
主イエスと弟子たちはユダヤからガリラヤに向かわれます。(3)
主はあえてサマリアを通られました。(4)
そこで、主イエスは一人の女性と出会い、話されます。
主の言動を通して示されることは…
主イエスとペテロのやり取りを通して示されることは…
本 論)
1、サマリアの女性と話される主イエス
当時、ユダヤ人とサマリア人の間は仲が悪く、ユダヤ人がガリラヤへ旅をするときは、サマリアを迂回(うかい)していました。
しかし、主イエスは「サマリアを通って行かなければならなかった」のです。(4)
それは、一人の人と出会われるためでした。
父なる神様が、主イエスをサマリアの町スカルに導かれ、一人の女性に出会わせてくださったのです。
正午ごろ、主イエスは「ヤコブの井戸」(ヤコブが堀ったと言い伝えられていた井戸)の傍らで休んでおられました。(5-6)
水を汲みに来た彼女に、主イエスは水を求められます。 (7)
弟子たちは町に出かけていました。(8)
当時、ユダヤ人とサマリア人は歴史的な経緯のため反目していて互いに話もしないような状況でした。(9)
しかし、主イエスはこの女性に水を求め、話されました。 (10)
ここで仰られた「神の賜物」は「生ける水」のことです。
主のことばを聞いても、彼女は「生ける水」のことを「井戸から出るわき水」としか思っていませんでした。 (11-12)
2、「生ける水」を与えてくださる主イエス
主イエスは、この女性の心を、ご自身が与えようとしておられる「生ける水」(「永遠のいのちへの水」(14))へ導こうとしておられました。
まず、ヤコブの井戸からの水はたとえ喉をうるおしたとしても、また喉が渇くものであることを指摘されました。 (13)
「ヤコブの井戸からの水」は、この世が与えるもの(名誉、富、権勢、快楽、知識等)を象徴しています。それらは飲めば飲むほど(得れば得るほど)心が渇き、満たされることはありません。それらは、私たちの心の「最深欲求」を満たすものではないからです。
しかし、主イエスが与えてくださる水は「その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出る」のです。(14)
このとき、彼女は主イエスが与えようとしておられた水の真の意味はまだわかっていませんでした。
彼女は「その水」を求めました。(15)
女性は、まだそれを飲み水だと思っていたのです。
この後、主イエスとの対話を通して彼女も主イエスを信じる信仰へと導かれていきます。
結 論)主イエスが言われた「永遠のいのちのへ水」(14)は聖霊のことです。
イエス様を信じ、心に受け入れるとき、聖霊は与えられます。
主は「その人の内で…」(14)と仰られたように、聖霊が内在されます。
聖霊によって、主イエスが私たちの内に生きてくださり、私たちは永遠のいのちに生かされるのです。
主イエスによって、私たちは心満たされ、喜びが与えられています。
聖書のことばを心の内にたくわえ、聖霊によって主イエスとの交わりを深めつつ、日々歩んでまいりましょう。
(参考)
「人間の心には神以外に埋めることのできない空洞がある。」(『パンセ』) ブレーズ・パスカル(1623-1662)
「あなたを讃えることが喜びであるように、それは
あなたがわれわれをあなたに向けて創られたからです。
そのためわれわれの心は あなたのうちで憩うまでは
安らぎを得ません。」(『告白録』宮谷宣史訳)
アウレリウス・アウグスティヌス(354-430)
キリスト教放送局FEBC 5/2放送分
インタビュー 金子晴勇(かねこ はるお)(1932-2026)
