イエスが十字架につけられた場所には園があり、そこに、まだだれも葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の備え日であり、その墓が近かったので、彼らはそこにイエスを納めた。ヨハネの福音書19章41-42節 (p.227)
序 論)十字架の上で主イエスは「完了した」と言われ、頭を垂れて霊を父なる神様にお渡しになりました。(19章30節p226)
主の御体は十字架から取り降ろされ、埋葬されます。
主の埋葬について記されている今回の箇所を通して示されることは…
本 論)
1.アリマタヤのヨセフとニコデモ
アリマタヤのヨセフはサンヘドリン(ユダヤ議会)の議員 でした。( ルカの福音書23章50-51節p171)
彼はユダヤ人の指導者でしたが、主イエスの隠れた弟子 でした。彼はユダヤ人を恐れて信仰を公にしていませんでした。(38a) (ヨハネの福音書9章22節p200)
しかし、このときヨセフは「勇気を出して」総督ピラトに主イエスの遺体の取り降ろしを願い出ました。(マルコの福音書15章43節p104)
ピラトの許可を得ると、彼は一人で十字架の下に行き、 自分の手で「イエスのからだを取り降ろした」のです。 (38b)
それまで信仰を公にしなかったアリマタヤのヨセフがこのとき勇気を出して十字架から主イエスの遺体を取り降ろしたのは、主に対する信仰が強められたゆえでした。
ニコデモも議員であり、パリサイ人でした。(39)
彼は以前、夜に主イエスを訪ねて来たことがありました。 (ヨハネの福音書3章2節p179)
そのときはまだ主を信じていませんでした。
しかし、このとき、彼は昼間、主イエスを葬るため「没薬と沈香を混ぜ合わせたもの」を持って来ました。(39)
この香料「百リトラ」(約33㎏)は、一人の人間を葬るには十分過ぎるほどの量でした。
このことはニコデモが主イエスを信じる者となったことを示しています。
2. 新しい墓に
ヨセフとニコデモは、「ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって」、丁重に主イエスの遺体を葬る備えをしました。(40)
ニコデモが持参した没薬と沈香を混ぜた「香料と一緒に亜麻布で」主の御体は巻かれました。
その香料は非常に高価なものでした。主イエスの御体は芳香に包まれたことでしょう。(エペソ人への手紙5章1-2節p390)
このことは主イエスが十字架において栄光をお受けになったことの証しであり、後に復活されることへの備えでも でもありました。
イエスの遺体を納めるために備えられた新しい墓はヨセフが自分のために「岩を掘って造った」ものでした。(41)(マタイの福音書27章60節p63)
「その日は備え日」(42)であり、安息日が始まる日没前 の時でした。葬りに許された時間は余り残っていませんでした。
刑場の近くにあった園の新しい墓にヨセフとニコデモは主イエスの遺体を納めました。
ニコデモは主イエスへの信仰の表れとして主に香料を ささげました。
ヨセフも主への信仰の証しとして、自分の所有していた 新しい墓を主にささげたのです。
結 論)最初の人アダムが罪を犯し、堕落したのは「園」においてでした。(創世記2章8節p3、3章23節p5)
第二のアダムであるキリストがアダムの子孫である全人類を罪から贖い出されるみわざを成されるのも「園」においてです。
この園の新しい墓に葬られた主イエスは、朽ち果てることなく、三日後に栄光のからだをもって死者の中から復活されます。
アリマタヤのヨセフやニコデモのように、私たちもそれぞれ置かれた所で主イエスへの信仰をもって、主のご愛と恵みに応答して歩みましょう。
受難週のとき、ご受難の主を仰ぎ、十字架上の七つの言葉を深く黙想し、イースターを待ち望みつつ過ごしましょう。
十字架の上の七つの言葉
①「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」(ルカの福音書23:34)
②「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカの福音書23:43)
③「女の方、ご覧なさい。あなたの息子です。」(ヨハネ福音書19:26)
「ごらんなさい。あなたの母です。」(ヨハネ福音書19:27)
④「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」 (マタイの福音書27:46)(マルコの福音書15:34)
⑤「わたしは渇く。」(ヨハネの福音書19:28)
⑥「完了した。」(ヨハネの福音書19:30)
⑦「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます。」(ルカの福音書23:46)