マタイの福音書5章38~48節

しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。マタイの福音書5章44-45節 (p9)

序 論) マタイの福音書5章17節から後半は主イエスが旧約聖書の律法について語られたことが記されています。
 主イエスはさらに他の律法について語られ、勧めをなさいます。
 今回の箇所を通して示されることは…

1.復讐心からの解放
 主イエスは「目には目を、歯には歯を」という律法の規定について語られます。(38) (出エジプト記21章24節p137レビ記24章19-20節p223)
 これは「同害報復法」と呼ばれます。この規定の意図は
際限のない報復や復讐に歯止めをかけることにありました。
 当時、目や歯の要求は金銭による贖いに代えられていましたが、動機が復讐の精神にあることは変わりませんでした。
 しかし、主イエスは復讐せず、仕返ししようとする思いから解放されるように、と語れられます。(39)
 「あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい」は、復讐心から解放された者の姿を示しておられます。
 これは社会における悪や不正を放置しておいてよい、ということではありません。

  主イエスご自身、役人による不当な平手打ちに抗議されました。(ヨハネの福音書18章23節p223)
 後に使徒パウロとシラスも正規の手続きなしにむち打たれ、牢につながれたときに抗議の声を上げました。                  (使徒の働き16章37節p269) 
 40-41節には、復讐心から自由にされた者の姿が示されています。
 何着か持っている「下着」(40)は、裁判で担保に求められることはあっても、当時、夜具にも使われる「上着」は 質にとることが禁止されるほど大切な物でした。 (出エジプト記22章26-27節p140)
 主イエスはそれをも与えなさいと言われます。(40)
 ローマ軍隊によって徴用され、荷物運びをすることは、毎日やっとの生活をしている人たちにとっては大きな負担でした。(41)(「1ミリオン」は約1,5㎞)
 しかし、主は求められる以上のことをしなさい、と命じられます。(41)
 42節のみことばは、何でも与えなさい、という教えではありません。これは自分の所有物に対する執着から解放された姿を示しています。

 2. 全き愛を示された主イエス
 「あなたの隣人を愛し」(43)はレビ記19章18節 (p212)の引用です。
 「あなたの敵を憎め」(43)は旧約聖書に書かれていません。当時、ユダヤ人たちの間で言われていたことだったのでしょう。
 特に律法学者たちにより、「隣人」とはイスラエル人のことで、異邦人は「敵」とされていました。
 しかし、主イエスは自分の敵さえも愛するよう勧められ ます。(44)
 それは分け隔てなさらず、太陽や雨の恵みを与えてくだ さる父なる神様の愛にならうことだからです。(45)
 イエス・キリストの贖いによって「天におられるあなたがたの父の子ども」(神の子)(48)とされた者は、「完全」な愛を持たれる父なる神様に似た者となりなさいと、主は命じられます。
 地上に来られた主イエスは言行を通して、神様の完全 (全き愛)を人々に示されました。
 主イエスはみことば通り、十字架の死に至るまで「敵を愛し、ご自分を迫害する者のために」祈られたのです。 (44)

結 論)かつては神様を知らなかった私たちのため、すべての人の救いのためにも主イエスは十字架にかかって死なれました。(ローマ人への手紙5章6-11節p304)
 今も聖霊によって私たちのうちに神の愛が注がれています。(ローマ人への手紙5章5節p304)
 聖霊によって私たちは神にならう者、主イエスに似た者へと変えられていきます。
 聖霊により愛とへりくだりの心をいただき、主と共に神を愛し、隣人を愛する道を歩み続けましょう。

(参考)
  新聖歌129「ものみなこぞりて」の歌詞はアッシジのフランチェスコ(1182-1226)の「太陽の賛歌」をもとにして書かれた。
 「太陽の賛歌」は文字通り、天地創造の神の創造された 一つ一つ、太陽、月、風、大気、雲、清い空、水、光、夜を数え上げて、神をたたえたもの。