三位一体・第21主日礼拝 2026.10.18
聖書箇所:詩篇17篇1-15節
説 教 題: 「瞳のように私を守り」
説 教 者: 辻林 和己師
あなたの右の手で 奇しい恵みをお示しください。向かい立つ者どもから 身を避ける者を救う方。瞳のように私を守り御翼の陰にかくまってください。私を襲う悪しき者から私を取り巻く貪欲な敵から。 詩篇17篇7-9節 (p946)
序 論)この詩は、ダビデがイスラエルの初代の王であるサウルから追われていたときに歌った詩ではないかと言われています。
この詩篇の祈りのことばを通して示されることは…
本 論)
1、神様を呼び求めるダビデ
詩人は自らの潔白を主張し、自分を取り囲む敵から救われることを願って神様に訴えます。(1-2)
すべてをご存知である真実な神様に信頼して、詩人は正義を求めて祈ります。
彼は、自分が神の御前に正しい言行を貫いて歩んで来たという自負がありました。(3)
自分を攻撃してくる者に、自分で仕返しするのではなく、神様にさばきをゆだねています。
ダビデは神のことばに従い、「無法者が行く道」を避けて歩んでいました。(4-5)
しかし、彼は人から誤解され、命を狙われました。
詩人はあわれみと救いを求めて神様に祈ります。(6)
ここでの「奇しい恵み」(7)とは、大きな危険の中にある者を救い出される特別な恵みです。
「あなたの右の手」(7)は、神様の御力を意味しています。御力によって、「向かい立つ者ども」(「敵」)から救ってください、と祈ります。(7)
「瞳(ひとみ)」(8)は、体の中で、まぶたやまつ毛、涙等の働きによって最も注意深く保護されている器官の一つです。
「御翼の陰にかくまう」(8)は、親鳥が子鳥やひな鳥を守る姿を示しています。かくまわれたひな鳥は、たとえ嵐の中であっても安らぐことができます。
詩人は自分を瞳やひな鳥にたとえて、敵からの主の御守りを祈っています。(9)
ダビデは、弱い自分を神様は守ってくださると信じて祈り続けました。
2、主の御顔を仰ぎ見る
10-12節は、ダビデを追う敵の姿が記されています。
「飢えた獅子」や「若い獅子」(12)は強力な支配者のたとえで、ここではダビデの命を狙うサウル王のことを示していると受け止めることができます。 (サムエル記 第一 23章25節p523等)
「主よ 立ち上がり…」(13a)とダビデは神様が御力を現わしてくださることを祈っています。
「あなたの剣」(13b)は神のことばによる励まし、という意味で用いられています。
「相続分が地上のいのちであるこの世の人々」(14)は真の神様を敬わず、信仰より物質的なことを尊重する人たちのことです。
彼らの影響を受けたり、仲間にならないように「私のたましいを助け出してください」(14)と詩人は神様に祈ります。
「義のうちに」(15)は自分の義ではなく、全き義なるお方である神の恵みによって、という意味です。
「御顔を仰ぎ見る」、「御姿に満ち足りる」(15)は、共にいてくださる主との交わりの中で歩んでいくことです。
朝ごとに、そして日ごとに私たちは主との交わりを深め主からの力と平安をいただいて歩みます。
結 論) ダビデは誤解され、悪者とみなされ、追われました。しかし、神の御守りの中、彼はやがてユダヤの王となりました。
主イエスは、罪なきお方であられるにも関わらず、すべての人の罪の罰をご自身が負われ、十字架で死なれました。
神様は、主イエスを復活させられました。主は神の右の御座に着かれました。
神様は、主イエスを通して、罪の世に正しいさばきと赦しを実現されたのです。
「目覚めるとき…」(15)は夜の眠りからの目覚めを意味すると共に「死よりの目覚め」すなわち「復活」も表していると受け止められてきました。
私たちもやがて地上の生涯を終えて、御国に移されるとき、主とお出会いするのです。 (コリント人への手紙 第一 13章12節p346)
私たちを、瞳のように大切にしてくださり、御翼の陰にかくまってくださるお方、神様にお頼りし、日々、主との交わりを深めつつ歩みましょう。
