マルコの福音書4章35~41節

三位一体・第二十主日礼拝  2026.10.11
聖書箇所:マルコの福音書4章35-41節
説 教 題: 「嵐の中で主イエスの舟に」
説 教 者:          辻林 和己師

イエスは起き上がって風を叱りつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、すっかり凪になった。イエスは彼らに言われた。「どうして怖がるのですか。まだ信仰がないのですか。」  マルコの福音書4章39-40節 (p73)

序 論)主イエスは、弟子たちや群衆にたとえで神の国(天の御国)について語られました。(4章1-34節)
 その日の夕方、主イエスはガリラヤ湖の弟子たちと一緒にガリラヤ湖の「向こう岸」(東岸)に向かわれます。(35-36)
 そのときに起こった出来事と主イエスの言行を通して示されることは… 

本 論) 
1.嵐の中で
 ガリラヤ湖は周囲を山に囲まれたすり鉢状の地形の底にあり、午後、「激しい突風」(37)がしばしば起こりました。
 このときの突風は舟が沈んでしまいそうになるほど激しいものでした。
 この嵐は、かつて湖で漁師をしていたペテロやヨハネたちにとっても死の恐れを持つほど強烈でした。
 ここでの嵐は、主イエスと一緒に舟に乗り込んだ弟子たちだけが遭遇したものでした。
 彼らは、同じ舟に乗っておられる主イエスに助けを求めようとします。ところが主イエスは、船尾で眠っておられました。(38a)
 主は昼間の宣教活動にとても忙しくしておられ、疲れて眠っておられたのでしょう。
 弟子たちは、主イエスを起こして、言いました。(38b)
 ここでの「死ぬ」ということばのギリシア原語は、「滅びる」という意味のことばが使われています。
 私たちが死んでもかまわないのですか、という彼らのことばは、いらだちと主への非難の思いがこもったものでした。
 恐れて主イエスに不平を言う弟子たちの姿と一日の疲れからかぐっすり眠っておられる御姿が対照的です。  

2、突風を静められる
 主イエスは目を覚まし、起き上がられました。(39a)
 そして、風を叱りつけ、荒れ狂う湖に「黙れ、静まれ」と命じられました。
 途端に「風はやみ、すっかり凪(なぎ)に」なりました。(39b)
 神の御子であられる主イエスが、同じ舟に乗っておられるにも関わらず、弟子たちは嵐に大きく動揺してしまいました。
 主は、彼らの不信仰を叱責されました。(40)
 単純で明快な一言で、自然界を支配される主イエスの御姿を見聞きした弟子は「非常に恐れ」ました。(41a)
 これは、主の御力に驚き、彼らが畏敬の念を抱いたことを意味しています。
 「風や湖までが言うことを聞くとは、…」という弟子たちのことばには、自然界をも服従させることがお出来になる主イエスの権威が示されています。(41b)
 主イエスのなされた奇跡のみわざに、弟子たちはただ驚いただけでなく、「いったいこの方はどなたなのだろうか」と言う問いを発しました。
 彼らは、この出来事を契機に、これまで従って来た主イエスを新たに見つめ直すことになりました。
 主イエスは、いったいどなたなのかがこのマルコの福音書でも、段々と明らかにされていきます。

結 論) 主イエスを信じ、従った弟子たちだけがこの嵐に遭ったように、私たちも時に、様々な苦難や試練に遭うときがあります。
 そして、弟子たちのようにすぐ私たちは恐れ、動揺してしまいます。
 しかし、主イエスはそのような弱い私たちといつも共にいてくださり、必要な助けの御手を伸べてくださいます。
 十字架で死なれ、復活され、聖霊によって共にいてくださる主がどのようなお方なのか、私たちもさらにそれを知り、主との交わりを深めたいと願います。
 主イエスが弟子たちと一緒に乗っておられる舟は教会の象徴でもあります。
 私たちは主を中心に集い、主と共に進んでいきます。
 主イエスが嵐で沈みそうになる舟の中でも父なる神様に信頼し、委ねておられたように、私たちも主に信頼して歩みましょう。
 そして、助けが必要なときは、主の御名によって父なる神様に祈り求めてまいりましょう。