教区講壇交換礼拝
説教者:東京教会 楊慶運先生
「やりたい人生、やらざるを得ない人生」
まことに、まことに、あなたに言います。あなたは若いときには、自分で帯をして、自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、あなたは両手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をして、望まないところに連れて行きます。」
ヨハネの福音書21章18節 (p.230)
序 論)
私たちの人生を短く一言で言うと何でしょうか。
1、 やりたいことをやるが人生
人生をこんなに単純に言ってはいけませんが、こんなに単純に言って見ると理解しやすいです。私たちはやりたいことがありまして、そのために長い時間と沢山のお金を使っています。私たちが現在頑張っている理由はやりたいことをやるために頑張っています。
私たちは一日の間、食べたいメニューを食べて、飲みたい飲料を飲んで、聞きたい音楽を聴いて、着たい服を着て、行きたいところを旅行して、見たいテレビ番組を見て、寝たい時間に寝ています。
自由にやりたいことをやって、人生を楽しんでいます。
さて、今日の箇所のペテロは若い時から自由でした。ペテロは彼自身が行きたいところに行きました。イエス様の弟子になることも彼が望んでイエス様について来たことです。
イエス様の弟子になるために家族も、船も、仕事も捨てました。
彼は家族と離れたくないのに、無理して離れたのではありません。
仕事を辞めたくなかったのに、無理して辞めたのではありません。
彼はイエス様の弟子になりたくないのに、無理して弟子になったのではありません。
彼は最後、殉教したくないのに仕方なく殉教したのではありません。
イエス様のためなら死ぬところでもついて行きますと皆の前で堂々と言えるくらい彼はイエス様が大好きでした。彼はイエス様の約束通りに人間を取る漁師となり、やりたいことをやりましたので、幸せな生涯を送りました。ペテロも私たちも同じく、やりたいことをやりながら生きる、これが私たちの人生です。しかし、私たちの人生にはもう一つあると思います。
2、 やりたくなくても、やらざるを得ないのが人生
ペテロは歳をとるとやりたくないこと、望まないことをしました。
今日の聖書の箇所はペテロの未来に関する預言です。「若いときには自分の望むところを歩きました。しかし年をとると、望まないところに連れて行きます。」ペテロは若い時、彼のやりたいことを中心に考えました。やりたいことをやって、やりたくないことはしませんでした。しかし、歳をとって聖霊に満たされた後からは彼の意志よりは聖霊の導きに従いました。異邦人の百人隊長のところに行って、イエス様の福音を伝えることもしました。若い時であるなら、やりたくないことでしたので、やらなかったことですが、聖霊に満たされたから、やりたくなくても従う心でやりました。
イエス様を信じる人たちの人生は最初、自分がやりたいことをやりました。しかし、ある時からは聖霊に満たされて、自分がやりたいことよりは主なる神の御心を求めます。自分は主が喜ばれることであるなら、何でもやりたがる気持ちになります。自分は教会の皆の益となることであるなら、やりがいを感じます。聖霊に満たされた人はやりたい基準が変わりました。今まではやりたくなかったことでも、聖霊の助けによってやりたくなります。
聖徒の皆様はいかがでしょうか。
今まではやりたいことと、やりたくないことの基準は何でしたか。
聖霊に満たされた後、今の基準はどう変わりましたか。
私たちの人生は単純にやりたいことと、やりたくないことから始まりました。それが歳と共にやりたくなくても、せざるを得ない歳を迎えました。やりたくないことを無理矢理にやって体調を崩したこともあります。しかし、これからは自分がやりたい、やりたくないではなく、聖霊なる神が私たちにやる気を与えてくださいます。
聖霊なる神さまが私たちに新しいやる気を与えてくださいます。
そのやる気があれば、今までやりたくなかったことでも、私たちは病気になることも無く、何でもできます。
主にあって何でも出来ます。