彼らは、これらの出来事すべてについて話し合っていた。話し合ったり論じ合ったりしているところに、イエスご自身が近づいて来て、彼らとともに歩き始められた。 ルカの福音書24章14-15節 (p.172)
序 論) 主イエスが復活された週の初めの日(日曜日)の夕方、クレオパともう一人の弟子がエマオという村に向かっていました。(エルサレムから11㎞ほど離れた所)(13)
彼らは「近ごろエルサレムで起こったこと」(18)について話しながら歩いていました。(14)
復活された主イエスが彼らに対してなされたことは…
1.彼らに近づき、共に歩んでくださる
失意の中にある彼らに主イエスの方から近づいて来てくださいました。(15)
彼らは一緒に歩いておられる方が主イエスだとはまだ気づいていませんでした。(16)
二人は暗く悲しい表情をしていました。(17)
彼らは主イエスが預言者であり、イスラエルをローマの圧政から解放してくださる方だと思っていました。(19、21)
しかし、主は十字架にかかられ、死なれたのです。(20)彼らは失望してしまいました。そして、エルサレムから出て行こうとしていたのです。
二人は、朝早く、女性の弟子たちが主が葬られた墓で御使いたちの幻を見たこと、み使いたちが主イエスは生きておられると告げたことを聞きました。(22-23)
クレオパたちは、墓が空になっていたことを聞いても主イエスの復活を信じることができなかったのです。(24)
二人の弟子たちの話を聞いておられた主イエスは、彼らの心の愚かさと鈍さが「預言者たちの言ったことすべて」 (旧約聖書が証しする救い主がどのようなお方であるかということ)を悟ることを妨げている、と告げられます。(25)
2. 聖書を説き明かし、霊の目を開いてくださる
主イエスは、旧約聖書が告げていたメシア(へブル語で「救い主」)は、受難を経て、栄光に入られるお方であることを告げられました。(26)
主イエスは聖書全体(旧約聖書全体)に書いてあることを彼らに説き明かされました。(27)
ここでの「モーセ」は旧約聖書の律法、「預言者たち」は預言書のことです。(旧約聖書は律法、預言者、諸書(詩 や歴史書等)の三つに分類される。)
二人は気づかないまま、主イエスご自身から聖書の説き明かしを聞いたのです。
弟子たちの心に変化が起こり始めていました。彼らは この「見知らぬ旅人」に心が引き付けられていました。
夕刻になり、彼らは主イエスに自分たちの家に「一緒にお泊りください」と強く勧めました。(29)
主イエスは彼らの家の中に入られ、食事の席に共に着かれます。主はパンを取って神をほめたたえ、裂いて彼らに 渡されました。(30) 当時、食卓でパンを裂くのはその家の主人の役目でした。しかし、このとき客である主イエス がそれをされました。
主がパンを裂かれる様子を見て、二人は心の目が開かれ、このお方が主イエスだと分かったのです。すると主イエスの御姿は見えなくなりました。(31)
けれども、彼らはもう悲しくはありませんでした。
彼らは、復活された主イエスが聖書を説き明かしてくださったときのことを振り返りました。(32)
主イエスが共に歩いてくださり、聖書を説き明かしてくださったことによって、その前に二人で話し合っていたときの暗い顔は消え去っていました。
彼らの「心は内に燃えていた」のです。(原文は「私たちの心は私たちの中で燃やされていた」)(32)
結 論)復活された主イエスは今も聖霊によって私たち一人ひとりを訪ねてくださり、聖書の言葉を通して語りかけてくださっています。
そして、主を信じる者の内に生きてくださり、共に歩み続けてくださいます。
聖書の言葉は、私たちにとって日々の「霊の糧」です。
礼拝や諸集会、日々の聖書通読、精読により聖書全体(旧約聖書と新約聖書)を通して神様の言葉を聞き続けましょう。
復活された主イエスは、聖霊とみことばによって私たちにも大きな喜びや慰め、励まし、そして新たな力を与えてくださいます。
復活の主イエスのいのちに生かされ、主と共に信仰の道を歩んでまいりましょう。