ヨハネの福音書20章1~18節

 イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを話されたと伝えた。      ヨハネの福音書20章16、18節 (p.228)

序 論)
主イエスが十字架にかかられた三日後、週の初めの日の朝早く、マグダラのマリアはご遺体が葬られている墓に行きました。(1)
 墓の石が取り除けられていたので、そのことをペテロと「イエスが愛されたもう一人の弟子」(ヨハネ)に伝えました。(2)
 墓の中に入った二人は主のからだがなくなっていることを確認し、もう一人の弟子は信じました。(3-8)
 けれども、彼らは主の復活が聖書の預言の成就であり、神様のご計画であることをまだ理解していませんでした。(9-10)(詩篇16篇10-11節p945等)
 その後もう一度、墓に戻ったマリアに主イエスがなされ、言われたことは…

本 論)
1.御声をかけられた
 マリアは墓の中をのぞき込みました(11)。そこで彼女は二人の御使いを見ます(12)。
 彼らの問いに彼女が答えたとき、復活された主イエスはマリアの後ろに立っておられました。(13-14)
 マリアはその御姿を見ましたが、その方が主イエスであることに気づきませんでした。主が地上からいなくなってしまわれたという事実があまりにも重く、主イエスがよみがえられたことをまだ信じることができませんでした。(15)
 そのとき主イエスはマリアの名を呼ばれました(16)。
 彼女は「ラボニ(先生)」と答えました。
 主イエスが彼女に御声をかけ、名前を呼ばれたように、主は今も私たち一人ひとりの名前を呼び、聖書を通して語りかけておられます。
 続いて、主はマリアにご自分のからだに触れないようにと言われました(17)。父なる神様のみもとに帰ろうとしておられるご自身のみわざを妨げてはならない、という意味で言われたのです。
 復活され、天に昇ろうとしておられる主イエスは、マリアにとってもかつての「先生」ではなく、神の御子であり、主でした。

2.弟子たちを「わたしの兄弟たち」と呼ばれた
 主イエスはペテロたちのことを「わたしの兄弟たち」と呼ばれました。(17) それはご自分を裏切り、見捨てて逃げ去った弟子たちの罪を赦し、変わらず愛し続けておられることを示しています。
 また父なる神様が「わたしの父」であり、「あなたがたの父」と言われます。主イエスが十字架で死なれ、復活された後は、ご自身は父なる神様の長子となられ、信じる弟子たちは、神の子、兄弟とされました。(ローマ人への手紙8章29節p.310)
 私たちもイエス・キリストの御名によって、父なる神様に祈り、求めることができるのです。
 マリアは主イエスとお出会いしたこと、主からいただいた言葉を弟子たちに告げました。(18)
 マリアは復活された主とお出会いし、復活の知らせを人々に伝えた最初の人となりました。
 マグダラのマリア、弟子たちも、トマスも、初めは主イエスの復活を考えることもできなかったのですが、彼らは復活された主を見て信じました。

結 論) 復活され、天に昇られた主イエスは、神様の右の座に着かれました。
 その後、弟子たちに聖霊を与えられました。今も主は聖霊によって、私たちと共にいて下さるのです。
 今、私たちは復活された主イエスを直接見ることはできません。
 しかし、聖書がそれを証ししているから、「見ないで信じる」ことができるのです。そしてそれは「幸い」なことです。(ヨハネの福音書20章29節)
 聖書の言葉と聖霊によって、イエス様を神の御子、私の救い主と信じる者は罪赦され、永遠の命に生かされているのです。(ヨハネ福音書20章31節)
 この復活節のとき、主イエスの十字架と復活の恵みをさらに思いめぐらし、信じる者とされた幸いを感謝し主に従い続けてまいりましょう。