ルカによる福音書11章14~26節

「しかし、わたしが神の指によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。」ルカ11章20節

序 論)イエス様は、悪霊を追い出して、口がきけなくなってしまっていた人を癒されました(14)。群衆の中のある人々は、彼は悪霊のかしらによって悪霊を追い出しているのだと言いました(15)。またイエス様に天からのしるしを求めました(16)。イエス様が彼らの思いを見抜いて語られたことと、そのみ言葉から示されることは…

本 論)1.神の指と神の国

主イエスは、内輪もめする国や家は立ち行くことができないで倒れてしまうだろう、同じようにサタンも、もし仲間割れしたのだったら、彼の国は倒れるであろう、と言われます(17-18)。「あなたがたの仲間」(19)はユダヤ教徒の中で、悪霊の追い出しをしていた人です。しかし、もし、主イエスがベルゼブルの力でそれをしていたのなら彼らも悪霊の力によって成そうとしていることになります。でもそれらの力ではそんなことはできないのです。
主イエスは、「神の指によって」(20)悪霊を追い出しておられました。「神の指」は「神の力」のことです。(出エジプト記8章19節 p.85 参照)イエス様は、このように見事に反論されました。しかしこの言葉はただの反論や弁明ではなく、もっと大切な宣言 でした。それは、今、神様とサタンとの霊的な激しい戦いが行われている、ということでした。神の国とサタンの国の総力戦です。ここに出て来る「国」という言葉は「支配」という意味です。私たち一人一人の心が、神様とサタンの戦いの戦場であり、主イエスと悪霊とが私たちをめぐって戦っているのです。悪霊は、少しでも隙があれば、私たちを虜にし、支配下に置こうと狙っています。悪霊によって口がきけなくなっていた人は、罪によって神様を賛美する言葉、祈りの言葉、隣人に対する愛の言葉を失っていた私たちの姿と重なります。私たちは、自分の力では、悪霊に打ち勝つことも、罪の問題を解決することもできませんでした そのような私たちを悪霊と罪の支配から救い出すために、この地上に、私たちのもとに来て下さったのです。私たちは主イエスによって、サタンの国(悪霊と罪の支配)から神の国に移された者です。
イエス様は、さらに「戦いのたとえ」を話されました。(21-22節)。「十分に武装して自分の邸宅を守っている」「強い人」(21)は、サタンのことです。「もっと強い者」(22)は、イエス様のことです。主イエスが、サタンの「邸宅」を襲い、サタンを武装解除し、その持ち物を奪い分捕り品とされるのです。「分捕り品」は救われた私たちのことです。このたとえを通して、サタンに対する主イエスの戦いと勝利が告げられています。その勝利は、今回の箇所の、口を利けなくする悪霊の追放によって実現したのではありません。その決定的戦いは主イエスの御生涯全体においてなされました。その最後の決着の場が十字架の死と復活でした。神様の独り子であられるイエス様は、私たちの罪を全て背負って、十字架の苦しみと死を引き受けて下さいました。主イエスが十字架につけられて死なれたことによって、神様に敵対するサタンの力が勝利したかのように見えました。しかし、父なる神様は、死の力を打ち破って主イエスを復活させ、新しい命と体を与えて下さいました。復活されたイエス様は、サタンの武具を全て奪い、私たちをその支配から解放して下さったのです。サタンに対する主イエスの決定的勝利はこの十字架と復活によって実現しました。

2.主イエスの勝利に支えられて
 今回の癒しのみわざも含めて、主イエスのみわざはすべてこの十字架と復活による勝利を指し示しています。神の国、神様のご支配は、主イエスの十字架と復活によって私たちのところに来ているのです。
救い主イエス様とサタンとの戦いにおいて私たちは傍観者(中立の立場)であることはできません。主イエスと共に神様のご支配のために戦うか、それとも悪霊やサタンの支配下に留まり続けるか、どちらかです。「わたしの味方でない者は」(23)、つまり主イエスと共に戦わない者は、傍観者として中立を守っているのではなく、サタンの支配下にあるのです。イエス様は、暢気に傍観者であろうとしている私たちに、「わたしと共に霊の戦いをなす者となりなさい」と招いておられます。
イエス様のことをベルゼブルと言った人たち、主イエスのみわざに神の指を見ない人たち、神の力や恵みによらないでも悪霊の支配から自由になれると思っている人たちに対して、主はあなたがたは今よりも悪い状態になると、警告されました(24-26節)。私たちもイエス様から離れたら、罪の生活、罪の支配下に戻ってしまい、心が汚され善なる行いをする力も失ってしまいます。
イエス様を信じて最後まで従い続ける歩みは、主イエスの勝利に支えられて、勝利の約束された戦いを、油断することなく、希望を持って戦っていくことです。結論)私たちは、自分の力では、サタンにも悪霊にも罪の力にも打ち勝つことはできません。しかし、み言葉を心に留め、祈りながら歩めば、私たちを神様から引き離そうとするサタンの攻撃に耐え、罪の力に打ち勝つことができます。主イエスの戦いに連なる私たちは、主イエスと共に「集める者」(23節 参照)となります。主イエスは全世界から、ご自分の民を招き、集め続けて下さっています。私たちも招かれ、教会に集い、救いの恵みにあずかりました。
父なる神様は、今も、イエス様を通してすべての人が救われることを願われ、救いの御手を伸べておられます。イエス様は、「神の指(神の力、聖霊の力)」によって、私たちを罪から救い、罪と悪の思いを心から除き、きよめ続けて下さっています。私たちは、主イエス様を信じ、従い続けてまいりましょう。