ルカによる福音書17章11~19節

そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、 イエスの足もとにひれ伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。             ルカ17章15-16節 (p.119)

序 論)イエス様は、エルサレムに向かう途中、「サマリヤとガリラヤの間」(11)を通られました。ある村で、重い皮膚病にかかった10人に出会われます。主イエスのなされたことと彼らうちの一人サマリヤ人の応答は…

本 論)1 主イエス様にあわれみを求めた
この10人は治すのが難しい重い皮膚病を患っていました。9人はユダヤ人、1人はサマリヤ人でした。ユダヤ人とサマリヤ人の間には歴史的な事情があり、いわゆる犬猿の仲でした。かつてイスラエルの国は、北王国イスラエルと南王国ユダに分裂していました。(BC931年~722年)しかし、北王国はアッシリヤという国に滅ぼされてしまいます(BC722年)。  北王国の人たちはそれまではユダヤ民族だったのですが、別の民族との同化政策が進められました。ユダヤ人たちは純血であることを重んじていましたから、南のユダヤ人たちは北のサマリヤ人たちを軽蔑するようになりました。それで、当時は、ユダヤ人とサマリヤ人は一緒に住むことはせず、話すことさえしませんでした。しかし、この10人は仲たがいをしている状況ではありませんでした。この10人は、この村に隔離され、一緒に共同生活をしていたのです。彼らの苦しみはどれほど大きく、つらい生活だったことでしょう。(旧約聖書レビ記13章45-46節 参照p.153)
イエス様が村に来られたとき、彼らは何とかいやされたいと願って「イエスさま、わたしたちをあわれんでください。」と声を張り上げて叫びました。(13)イエス様は、私たちのことをもあわれまれ、ご自身のもとに来るように招いておられます。私たちも今、いるところで願いをもってイエス様を呼び求めましょう。

2 神を賛美し、主イエスを礼拝した
10人の切実な願いに対してイエス様は、「祭司たちのところに行って、からだを見せなさい。」(14)と、遠くから言われただけでした。この10人はイエス様の言葉に従いました。すぐに癒されたのではありません。祭司たちのところへ向かっている途中で、癒されたことに気づいたのです。彼らは病が癒されてどれほどうれしかったでしょう。癒された10人のうち、9人は、そのまま自分たちの社会復帰のため祭司のところに行きました。(レビ記14章9節参照p.154)。でも、たった一人の異邦人、サマリヤ人は、祭司のもとに行くことを後回しにして、大声で神様を賛美しながら戻って来て、イエス様の足もとにひれ伏して感謝しました (15-16)。この人も他の9人も大いに喜んだことでしょう。しかし、このサマリヤ人は、祭司のところへ行って、「あなたは清い」と判定してもらって社会復帰するよりも、まず主イエスのところへ行き、主イエスに感謝しました。神に賛美をささげ、イエス様を礼拝することを第一としたのです。
9人の人が主イエスのもとに来なかったことを主は嘆かれます(18)。彼らは病が癒されたことで満足してしまいました。彼らの態度は、イエス様を受け入れなかったパリサイ人たちやこの世の利益を第一としたユダヤ人たちの姿を暗示しています。一方の感謝したサマリヤ人は、主イエスの福音を聞き、素直に主イエスを信じ、受け入れる異邦人キリスト者を象徴しています。
彼にイエス様は、こう言われます。「立って行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのだ。」(19) 礼拝をささげた後、彼は、自分の新たな生活の場へと遣わされていきます。

結 論)「あなたの信仰があなたを救った」とイエス様が言われたのは、「自分が癒されるのを信じたから救われた」ということだけではなく、「癒して下さった方を神の御子、救い主と信じたから救われたのだ」という意味です。
 彼は、自分の病の癒しされた後、その癒しの源である神の御子イエス様に心を向けました。救い主イエス様に癒されたその喜び、神様のあわれみを受けたという感動、それが神様への賛美、イエス様への感謝と礼拝という形になって表わされたのです。
私たちにとっても病が癒されることは大きな喜びですが、それは個人的なひとときの救いです。イエス様の十字架と復活によって、罪赦され、永遠の命に生かされること、神様を賛美し、礼拝しつつ歩むことが真の救い、永遠の救いなのです。この救いにあずかっていることを覚え、賛美と感謝をもって信仰の歩みをなしてまいりましょう。