ヨハネによる福音書14章1~7節

イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。…」ヨハネ14章6節 (p.118)

序 論)ヨハネ福音書14章は、受難週の木曜日の夜にイエス様が弟子たちに語られた言葉が記されています。地上を去られる日の近いことを聞いた弟子たちは動揺しました。
そのとき主イエスが語られたことを通して示されることは…

本 論)1.父の家を備えるために
イエス様は、彼らに「あなたがたは、心を騒がせないがよい。…」(1)と言われ、励まされました。地上の家がどんなに立派であっても、ある限られた期間しか住むことはできません。しかし、「父の家」(2)、父なる神様の家、神の御国は弟子たち、私たちの永遠の住まいです。「すまい(住まい)」は、神様が共におられる場所のことです。イエス様はその場所を備えに行こうとしておられました(2)。
この言葉通り、次の日(翌日の金曜日)、十字架にかかられたイエス様は、三日後に復活されました。そして、40日後に、父なる神のみもとに帰られ(昇天され)ました。         (使徒行伝1章9-11節 p.180)  「そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。」(3)   これは、イエス様ご自身がもう一度、地上に来て下さるとき、再臨の出来事を語っておられます。これは、初代教会に与えられた素晴らしい約束として現在まで受け継がれています。私たちも、イエス様の再臨を待ち望み、地上の人生を歩みます。

2. 主イエスご自身が父のみもとに至る道
イエス様は、神様を「天の父」と呼ばれ、私たちひとりひとりも神様が愛しておられる神の子であることを教えて下さいました。この木曜日の夜の場面で、続いてイエス様は「わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている。」(4)と言われました。それを聞いた弟子のトマスが尋ねます。(5)イエス様は、ご自身が父なる神様のみもとに至る道であることを告げられます(6)。 イエス様以外の道を通っては父なる神様のもとに行くことはできません。私たちはイエス様を信じ、従うことを通して、父なる神に至り、父の家に迎えられるのです。
イエス様は、ご自身の言行を通して神様を示される「真理」であり、「命」そのものであるお方です。私たちは行くべき道が分かっても、罪と死に打ち勝つ力がなければ最後まで歩み通すことはできません。私たちには罪と死に打ち勝つことはできませんが、十字架と復活によって打ち勝たれたイエス様ご自身が命となって力を与えて下さいます。
イエス様が、道、真理、命であられるから、イエス様を見た者は父なる神を知る者であり、父を見た者なのです(7)。

結 論)イエス様だけが、その言行を通して、真の神、父なる神様を教え示して下さいました。そして、私たちを罪から救い永遠の命に生かして下さいました。
父なる神様に至る道の到着点は「父の家」です。それをすでに備えて下さったイエス様が、地上の人生の終わりのときに私たちを迎えて下さいます。そして父なる神様への道の導き手はイエス様ご自身です。このお方、イエス・キリストを神の御子、救い主と信じ、従って行けば必ず父の家に迎えられます。
今も、イエス様は聖霊によって、こんなに小さく弱い私たちといつも共にいて下さり、父なる神のみもとに行く道を共に歩んで下さるお方です。たとえ私たちがどんなに愚かで弱くても、イエス様に目を注ぎ、主イエスがみわざを成して下さることを信じて歩みましょう。