マタイの福音書20章17~28節

公現節 第3主日礼拝     2026.1.18
聖書箇所: マタイの福音書20章17-28節
説 教 題: 「贖いの代価」
説 教 者:     辻林 和己師

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのと、同じようにしなさい。マタイの福音書20章28節 (p.41)

序 論)
「ぶどう園の労働者のたとえ」(1-16)を話された後、主イエスは弟子たちとエルサレムに向かわれます。
 途中で、三度目の受難予告をされました。(17-19)
 そのときに起こった出来事と主イエスのみことばを通して示されることは…

1、ゼベダイの子らへの主の予告
 
ゼベダイの息子たち(主イエスの弟子であるヤコブとヨハネ)の母が彼らと一緒に主のみもとにきて、自分たちの願いを告げました。(20-21)(この母は「サロメ」だと考えられている。マルコの福音書15章40節p104)
 彼らは、やがて主イエスが神の国の王となられる時のため、今のうちに自分たちの栄達(えいたつ)を求めておこうと思いました。
 母(そして、ヤコブとヨハネもそう願っていた)は、他の弟子たちを差し置いて、まず息子たちも主イエスの王座の右と左に座らせてほしい、と願いました。(21b)
 しかし、神の国はこの世の王国とは異なっています。
 主イエスは彼らが思い違いをしていることを指摘されました。(22ab)
 さらに主は弟子たちにお尋ねになり、彼らはそれに対し 「できます」と答えます。(22cd)
 主イエスがここで言われる「杯」は、苦難や神の憤り(怒り)のことです。(イザヤ書51章17節p1256、エレミヤ書25章15節p1337等)
 そして、主が言われる「わたしが飲もうとしている杯」は、受難(御苦しみ)と十字架の死のことです。
 このときのヤコブとヨハネは「杯を飲む」ということばを重く、真剣には受け止めていなかったのです。
 主イエスは二人に、「わたしの杯を飲むことになります」 (苦難を受けること)と彼らの将来を予告されます。(23ab)
 その予告の通り、ヤコブは使徒(十二弟子)の中で最初の 殉教者となりました。(使徒12章2節p257)
 またヨハネは、晩年にはパトモス島に流刑となり、迫害に耐える苦難の生涯を送りました。 (ヨハネの黙示録1章9節p491)
 天の御国でのそれぞれの立場は、「わたしの父」(父なる神様)におゆだねすることです。(23cd)

2、しもべとして仕えるために来られた主
 他の十人の弟子たちは、二人の「抜け駆け」を知って憤慨します。(24)
 他の弟子たちも内心は二人と同じように願っていたのです。
 そこで、主イエスは弟子たちが心がけるべきことを教えられます。(25-27)
 まず、異邦人の権力者たちのようであってはならないことを示され、弟子たちの間違った考え方を指摘されました。 (25-26a)
 主は彼らに「皆に仕える者」、「皆のしもべ」になりなさい、と言われます。(26b-27)
 最後に、主イエスはご自身が地上に来られた最大の目的を語られました。(28)
 「人の子」は主がご自身のことを指して言われていることばです。(ダニエル書7章13節p1522参照)
 主イエスは、仕えるため、そして「多くの人」(ここでは「すべての人」の意味。)のために「贖いの代価」としてご自分のいのちを与えるために来た、と言われます。
 「贖いの代価」は、捕虜や奴隷を解放するための身代金(みのしろきん)を意味することばでした。
 主イエスのいのちがすべての人を罪から解放する代価となったのです。

結 論) 主イエスが受難予告をされた時、弟子たちはまだ主イエスがなそうとしておられたことをわかっていませんでした。(17-19)
 彼らは、主の十字架の前に、逃げ出してしまいました。
 しかし、主イエスの十字架の死と復活の後、彼らは悔い改め、主に生涯、従い続けました。
 すべての人、そして、「この私のためにも」、主イエスは十字架の上で、ご自分のいのちを与えてくださったのです。
 主イエスの十字架の死と復活はこの私のためであったことを知り、主のご愛と「贖いの代価」の恵みがわかるほど、私たちは主のご愛をうちにいただき、人に仕える者とされます。
 そして、それぞれが直面する苦難に絶え、乗り越える力も、主が与えてくださるのです。
 主イエスのご愛をうちにいただき、隣人を愛し、仕える者とされつつ、歩みましょう。

(参考)
   新聖歌232(讃美歌514)
      「弱き者よ われにすべて」

   右側の上の英語の題名
    Substitution   「代理、身代わり」という意味。

       左側の上の英語の題名
   I hear the Saviour say.  私は、救い主の言われることを聴く。
                     1節の歌詞の「主はのたもう」(文語)

      もともとの讃美歌(英語)の題名
    Jesus paid it all.  イエスはそれにすべてを支払われた。
    (折り返し)の「主によりて 贖(あがな)わる」(文語)