マタイの福音書18章12~20節

三位一体・第15主日礼拝    2025.9.21
聖書箇所: マタイの福音書18章12-20節
説 教 題:  「小さい者一人のために」
説 教 者:     辻林 和己師

まことに、あなたがたに言います。もしその羊を見つけたなら、その人は、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます。このように、この小さい者たちの一人が滅びることは、天におられるあなたがたの父のみこころではありません。
        マタイの福音書18章13-14節 (p.37)

序 論)カペナウムにある家の中で、主イエスは弟子たちに天の御国について語られました。(1-10)
 さらに主は彼らに語られます。
 主が語られるみことばを通し、示されることは…

1.小さい者たちへの配慮
 主イエスは、父なる神様が小さい者たち一人ひとりに対して御顔を向け、配慮してくださっていること語られました。(10)
 続いて主は、「「迷い出た羊」のたとえ」を語られます。(12-13)
 一匹の羊が牧草地から迷い出て、「その人」(羊飼い)はその足跡をたよりに、遠くまで捜しに出かけました。(12)
 迷い出た一匹の羊が見つかり、連れ戻されることは、 羊飼いにとって大きな喜びでした。(13)
 主イエスは、父なる神様を「羊飼い」、「小さい者」を「迷い出た羊」にたとえて話されました。
 続いて主は語られます。(14)
 ここでの「滅びる」は、本来の位置から離れ、失われてしまう、という意味が含まれています。
 父なる神様は小さい者一人ひとりがご自分のもとに立ち帰ることを願って、探し求めておられます。(14)
 神様の前には、一人ひとりがかけがえのない、大切な存在なのです。 
 次に主イエスは「迷い出た羊」にたとえられる「罪を犯した兄弟(キリスト者)」をどう扱うかを語られます。
 主はここで、罪を犯した兄弟にそのあやまちを認めさせ、その兄弟を回復させるために、あらゆる努力を尽くすことを勧められます。            

2、悔い改めを祈る
 主イエスは、具体的な手順を示されます。
 まず、第一にその兄弟のもとに行き、二人だけのところで忠告することです。(15a)
 その人がそれを聞き入れ、罪を悔い改めるなら兄弟を得たことになります。(15b)
 その忠告が聞き入れられない場合は、ほかに一人か二人を連れて行き、忠告します。(16)
 これは旧約聖書 申命記19章15節(p349)に基づく勧告でした。
 これは、忠告により、その人が自分の犯した罪に気づいて悔い改めるように導くためでした。
 しかし、それでも忠告が聞き入れられない場合には、教会に伝えます。(17a)
 そこでも受け入れられない時には、その人は教会の交わりを拒んだことになります。(17b)
 その時は、「異邦人か取税人」と同様に、すなわちキリスト者になる前の状態に逆戻りした者として扱われます。
 主イエスはペテロを代表者として「天の御国の鍵」を与えられました。(マタイの福音書16章19節p33)
 18節では「天の御国の鍵」が「あなたがた」に、教会の行使する権能として与えられています。
 「つなぐ」は禁じること、「解く」は赦すことを意味しています。(18b)
 教会にはそのような権威と責任が委ねられています。
 それは祈りなしにはできません。(19) 
 このように「どんなことでも…」(19b)の中に一人の兄弟の悔い改めと信仰回復が含まれています。
 たとえ二人でも「地上で心を一つにして祈るなら」天の父なる神様は応えられます。                  

結 論)父なる神様は、御子イエス様をこの世に送ってくださいました。
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書3章16節p180)
 12-13節の「「迷い出た羊」のたとえ」は、ルカの福音書15章4-7節(p148)にも記されています。 
 「羊飼い」にたとえられている父なる神様と御子イエス様は、今も「いなくなった羊」(神様から離れている一人一人)を捜し求めておられます。
 すべての人の救いのために十字架で死なれ、復活された主イエスは、今も私たちとともにいてくださいます。(20)  (マタイの福音書1章23節(p2)、28章20節(p64))
 教会に集まる礼拝、祈祷会(祈り会)を大切にしつつ、周りの人たちの救いのために祈り、主と教会にともに仕えてまいりましょう。