三位一体・第6主日礼拝 2025.7.20
聖書箇所: マタイの福音書15章21―28節
説 教 題: 「立派な信仰」
説 教 者: 辻林 和己師
そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。 マタイの福音書15章28節 (p.31)
序 論)主イエスは弟子たちに人の罪について語られました。(15-20)
その後、主は彼らと共にガリラヤを去り、ツロとシドンの地方に退かれます。(フェニキア地方 現在のレバノン共和国)(21)
そこで起こった出来事を通して示されることは…
1.カナン人の女の叫び
主イエスがこの地に来られたことを知ったカナン人の女性が、主のもとに近づきます。
当時、イスラエルの人たちは異邦人を「犬」(「野犬」を意味する言葉)と呼び、軽蔑していました。
「主よ、ダビデの子よ」という彼女の呼びかけは、主イエスがそのような称号で呼ばれていたこと、主が多くの癒しのみわざや奇跡をなしておられたことを彼女が知っていたことを示しています。(22ab)
彼女は悪霊につかれて苦しんでいる娘を助けてください、と主に向かって叫び続けました。(22cd)
彼女は娘のことを心配し、懸命でした。
しかし、主イエスは沈黙されます。(23a)
弟子たちは、早く彼女の願いをかなえ帰してやってください、という思いを込めて主に話しかけました。(23bc)
主イエスは彼らに父なる神様がご自分を遣わされた第一義的な目的を語られます。(24)
主はイスラエルの家(民)の「失われた羊たち」(神様から離れてしまっている人々)をまず最初に救うために来られたのです。
しかし、イスラエルの民、特にパリサイ人や宗教指導者たちは、主イエスを救い主として受け入れませんでした。
この異邦人の女性は、主イエスの言行を見聞きしても、
あきらめず、主の御前にひれ伏し、執拗(しつよう)に願いました。(25)
2、主イエスの顧みと応答
主イエスは、カナン人の女性に、ご自身の使命を繰り返して語られました。(26)
ここでの「子どもたち」はイスラエルの民のことです。
「パン」は主イエスが与えようとしておられる救いの恵みのことです。
主は救い主を待ち望んでいたイスラエルの民に、まずその恵みを与えようとされました。
ここでの「子どもたちのパンを…」というみことばに、
主イエスのご自分の民に対する深い御思いと、彼らがご自身を受け入れようとしないことに対する悲しみが込められています。
しかし、ここで異邦人を犬ではなく、「小犬」と呼んでおられます。このことばは、当時、家庭でペットとして飼われていた小犬を表しています。
このことに主イエスの彼女に対するご愛とユーモアを感じます。主は彼女のことをすべてご存じで、すぐに応えられないことによって彼女の信仰を強められたのです。
この小犬も、食卓から落ちるパン屑をもらうことができるように、主の恵みの分け前をいただくことができる、いただきたい、そう願って彼女は言いました。(27)
この女性は小犬扱いされても、そのことを認め「…小犬でも、…パン屑は…。」とへりくだって主イエスのおことばに対して切り返し、さらに願い求めたのです。(27)
主は彼女の一心に求める態度と機知(きち)に感心されました。そして、「女の方。あなたの信仰は立派です。…」と、その願いを聞かれ、娘を癒されました。(28)
結 論)このマタイの福音書の中で、主イエスがその信仰を褒められたのは、このカナン人の女性とローマ人の百人隊長(二人の異邦人)だけです。 (マタイの福音書8章10節p13)
彼らの姿はパリサイ人たちとは対照的でした。(8)
二人は、主イエスに対し、謙遜と服従をもってその信仰を表したのです。
主のみことばの真意を理解し、それを全面的に従順に受け入れました。
主イエスの十字架の死と復活により救いのみわざが成されました。そして、その後の聖霊降臨日(ペンテコステ)以降は、主を信じるすべての人が罪から救われる時代です。
私たちもこの女性の姿にならい、へりくだって主イエスの御前に出、祈りによって助けを求め、自分の願いを告げ、主との交わりを深めてまいりましょう。
小さく、弱い者であっても、一心に主に求めてまいりましょう。
(参考)
マルティン・ルター(1483-1546)(ドイツの宗教改革者)
『講話 イエス・キリスト』(島村亀鶴1900-1993)
(日本基督教団 牧師)