マタイの福音書14章22~36節

三位一体・第4主日礼拝      2025.7.6
聖書箇所: マタイの福音書14章22―36節
説 教 題: 「わたしだ。恐れることはない。」
説 教 者:     辻林 和己師

イエスが湖の上を歩いておられるのを見た弟子たちは「あれは幽霊だ」と言っておびえ、恐ろしさのあまり叫んだ。
イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた
         マタイの福音書14章26-27節 (p.29)

序 論)「パンの奇跡」のみわざをなされた主イエスは、「弟子たちを舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸に向かわせ」られました。(22)
 その後、彼らに起こった出来事と主イエスの言行を通して示されることは…

1.主の深いあわれみ
 主イエスが弟子たちを先に行かせられたのは、彼らを訓練なさるためでした。
 主はご自分の手で群衆を解散させ、祈るため一人で山に登られます。(23)
 主は弟子たちのためにも祈られたことでしょう。
 先に舟で出発していた彼らは湖上で向かい風による波に悩んでいました。(24)
 「夜明けが近づいたころ」(25)、弟子たちは疲れ果てていたことでしょう。
 そのとき、主イエスは湖の上を歩いて彼らのところに来られたのです。
 弟子たちは、風と波ではなく、主イエスのみ姿を見て、幽霊だと思い、おびえ叫びました。(26)
 主イエスは彼らに話しかけられました。(27)
 「わたしだ」とのみことばは、旧約で神様がモーセに伝えられたご自身の名「わたしはある」と関連があるといわれます。(出エジプト記3章14節p102) (「わたしだ」(27)はギリシア語で「エゴー・エイミ」、「わたしはある」は英訳では「I am.」どちらも「わたしは存在する」という意味。)
 ここでも主イエスはご自身が永遠におられる神の御子であることを示されたのです。
 そして、困難に直面して恐れてしまう弱い弟子たちを励まされました。  

2、弟子たちは、主を神の子と告白し、礼拝した
 主イエスの御声を聞き、励まされたペテロは、主が水の上を歩いておられるように自分も、と申し出ました。(28)
 主は彼を招かれ、ペテロに水の上を歩く力を与えられました。彼は主に向かって歩き出します。(29)
 ところがペテロは「強風を見て怖くなり、沈みかけ」ました。(30)
 彼は、主に助けを求めます。
 主イエスは御手を伸ばされ、沈みかけたペテロを助けられました。(31a)
 そして、御声をかけられます。(31b)
 主が彼と共に舟に乗り込まれると、たちまち風がやみました。(32)
 主は大自然をも支配なさる方であることを示されたのです。
 このような出来事を目撃した弟子たちは、主イエスに「まことにあなたは神の子です」と告白し、主を礼拝しました。(33)
 それから主イエスは弟子たちと湖を渡り「ゲネサレの地」に着かれました。
 ゲネサレはガリラヤ湖北西岸の平地で、パレスチナで最も肥沃な地の一つとして知られていました。
 癒しの奇跡をなされる主イエスの評判は衰えず、その地域の人々も次々と病人を連れて来て、癒されました。(35-36)    

結 論)主イエスは罪の深みに沈んでいた私たちをご自身の十字架と復活のみわざによって救い出してくださいました。
 このときのペテロのように、私たちもすぐに主から目を離し、様々なことに恐れを抱き、沈みかけてしまうような者です。
 そのようなときも主に助けを求めましょう。 主イエスはいつも私たちと共にいてくださり、御声をかけ、助けの御手を伸べ、引き上げてくださいます。
 主を神の御子と告白し、礼拝し、御手に信頼しつつ歩み続けましょう。

参考
 『ゲーテとの対話』(ヨハン・ペーター・エッカーマン)(1792-1854 ドイツの著作家   ゲーテの晩年、秘書を務めた。)
 ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ(1749-1832 ドイツの文学者)
 オットー・フォン・ビスマルク(1815-1898 ドイツの政治家 ドイツ帝国宰相(在職1871-1890))