三位一体・第3主日礼拝 2025.6.29
聖書箇所: マタイの福音書14章13―21節
説 教 題: 「小さな献げもの」
説 教 者: 辻林 和己師
そして、群衆に草の上に座るように命じられた。それからイエスは、五つのパンと二匹の魚を取り、天を見上げて神をほめたたえ、パンを裂いて弟子たちにお与えになったので、弟子たちは群衆に配った。 マタイの福音書14章19節 (p.29)
序 論)バプテスマのヨハネは、領主ヘロデによって殺害されました。(14章10節)
ヘロデ・アンティパスは、主イエスのうわさを聞き、ヨハネがよみがえったと思います。(14章2節)
主は「それを聞くと」おひとりで「寂しいところ」へ行かれます。(13a)
主は舟でガリラヤ湖を渡られました。
その後、起こった出来事を通して示されることは…
1.主の深いあわれみ
大勢の群衆は、病の癒しや様々な悩みの解決を求め、歩いて主イエスの後を追います。(13b)
舟から上がられた主は彼らの姿をご覧になり、深くあわれまれました。(14)
「深いあわれみ」の原語は「内臓まで動かされるような切なるあわれみ」という意味です。
主イエスがなされた宣教も癒しのみわざも、主の深いあわれみによるものでした。
主イエスは病人たちを癒されます。
夕方になっても人々は立ち去りませんでした。(15)
弟子たちは主イエスに「…村に行って自分たちで食べ物を買うことができるように、群衆を解散させてください」(15)と提案します。
しかし、主イエスは「…あなたがたがあの人たちに食べる物をあげなさい」(16)と彼らに食料の調達を命令されました。
彼らは「ここには五つのパンと二匹の魚しかありません」(17)と主イエスに報告します。
当時、貧しい者たちは大麦のパンと魚(小さい干し魚)を常食としていました。
2、主の御手にゆだねる
主イエスは、そのパンと魚を持って来るようにと言われました。(18)
そして、群衆に草の上に座るようにと命じられました。 (19a)
男性だけで「五千人」(21)とありますから、女性や子どもたちを加えると1万人はいたのではと考えられます。
五つのパンと二匹の魚を受け取られた主イエスは、天を見上げ、神様に祈り賛美なさいました。(19b)
そして、主はパンを裂き、弟子たちにお与えになりました。彼らはパンを群衆に配ります。
そのとき、奇跡が起こりました。一万人以上の「人々はみな、食べて満腹した」のです。(20a)
なおパン切れは十二のかごがいっぱいになるほど、残りました。(20b)
14章6-11節に記されている、ヘロデの誕生祝いの宴会の場と主イエスがみわざをなされたこの場所は対照的です。
ヘロデの宴会は豪華な宮殿で開かれました。一方、主イエスが弟子たちや群衆と共におられた所は青草の野原でした。
一方は、贅沢な料理が出され、他方はパンと魚があるだけでした。
一方は民を支配する権威者たち、他方は貧しい庶民の集まりでした。
一方は預言者(バプテスマのヨハネ)の声を退ける王家の人たちがいて、他方は主イエスを慕う群衆がいました。
ヘロデの心には常に恐れがあり、彼は不倫と殺人の罪を犯しました。しかし、青草の野原には、主イエスのあわれみと平和がありました。
ヘロデの饗宴は罪に満てる世界の象徴であり、主イエスを中心とする集まりは教会、神の国のひな型です。
結 論)主イエスは弟子たちが持ってきたパンや魚を用いて、奇跡のみわざをなされました。そして、彼らにパンを配らせられました。
主はおひとりではなく、弟子たちを用いて大きなみわざをなされたのです。
ここでのパンや魚は、私たちにとっては日々の献げもの、奉仕、あるいは私たち自身のことに適用することができます。
私たちもこのときの弟子たちのように、自分自身や自分に与えられているものを限定して「…しかありません」(17)と心の中で思ったり、そのように言ってしまいやすいものです。
しかし、主イエスは私たちの小さな献げものを御手に受け、それらを用いてくださって、ご自身の栄光を現わしてくださるのです。
私たちの献げものがたとえわずかであっても、主の御手を信頼し、感謝をもって献げてまいりましょう。