マタイの福音書12章22~32節

しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。マタイの福音書12章28節(p23)

序 論)主イエスは、パリサイ人たちのご自身への敵意を知られ、その場所を立ち去られました。(14-15)
 その途中、病人たちを癒された主イエスに対して、パリサイ人たちは非難します。
 主が彼らに答えられたことばを通して示されることは…

本 論)
1.ベルゼブル論争
 主イエスは、悪霊につかれている人を癒されます。(22)
 それを見た群衆は驚き、「…、この人がダビデの子なのではないだろうか。」と言いました。(23)
「ダビデの子」は、旧約聖書で預言されていたダビデの子孫としてお生まれになる救い主のことです。
 パリサイ人たちは、主イエスが悪霊を追放され、人々を癒されたことを否定することはできませんでした。
 しかし、彼らは人々が、主イエスを信じるようになることはとどめようとします。
 それで、彼らは主イエスが「悪霊のかしらベルゼブル」の力によって悪霊を追い出している、と言いました。(24)
 主はパリサイ人たちの思いを知って、答えられます。(25)
 国や町や家の内部に対立があれば、それらは立ち行かなくなります。
 同じ様に、もしサタンがサタンを追い出したら、仲間割れしたことになります。それなら、そのサタンの国の支配は成り立たなくなります。(26)
 ここで言われる「サタン」はベルゼブルのことであり、悪霊のかしらです。
 これまで何度も、主イエスは人々から悪霊を追放されました。しかし、悪霊の働きはまだ続いています。サタンの支配はまだ崩壊していませんでした。
 また「あなたがたの子ら」(ユダヤの民)の中にも悪霊を追放している人たちがいる事実を、彼らは説明することはできません。(27)
 パリサイ人は、彼らに「あながたは悪霊によって」それを成しているのだ、とは言えませんでした。
 このようにパリサイ人の論法が全く不条理であることを主イエスは指摘なさったのです。

 2.神の御霊によって
 主イエスは、ご自身は神の御霊(聖霊)によって悪霊を追い出しているのだ、と彼らに言われます。(28)
 そして、主が悪霊を追放しておられることは、「神の国」すなわち神のご支配の時が到来していることの証しでした。
 続いて、主イエスはご自身とサタン(悪魔)との「霊の戦い」をたとえで語られます。(29)
 「強い者の家」は、サタンが支配している所という意味です。「家財」は、サタンのものとされている人々のからだや心を示しています。
 まず「強い者」、サタンに打ち勝ち、縛り上げなければ悪霊にとりつかれて苦しんでいる人を救うことはできません。
 このたとえは、主イエスがサタンと対決し、勝利され、悪魔の支配下から人を助け出されることを示しています。
 さらに主イエスは神様と悪魔は敵対関係にあり、主と神の国に対して、中立の立場はないことを語られます。(30)
 パリサイ人たちのように、人々が主イエスを受け入れることを妨げるのは、神の国に入る者たちを散らすことになります。(23-24)
 「集めない者」、「散らす者」は、人々を妨害し、人間関係を破壊する悪魔自身の性質を指して言われています。(30)
 「人の子」、主イエスに逆らうことばを口にする者でさえ赦されます。しかし、このときのパリサイ人たちのように聖霊の働きを否定し、冒瀆する者は、悪魔の支配下に留まったままです。このように主との交わりが断たれたままでいる彼らは赦されることはありません。(31-32)

結 論)主イエスが、宣教や癒しのみわざを成しておられたとき、すでに神の国は人々のところに到来しました。(28)
 その後、主は十字架と復活により、罪と死と悪魔に打ち勝たれ、私たちを救ってくださったのです。
 今、主イエスを信じる者に聖霊が与えられ、聖霊によって主が私たちの内に生きてくださいます。(ガラテヤ人への手紙4章6節p379)
 主を信じ、従う私たちは、みことばと聖霊により悪の力や誘惑に打ち勝つ力が与えられます。
 父なる神様に祈り、主イエスにお頼りし、聖霊の御力とお導きを頂きつつ、歩みましょう。