ヨハネの福音書10章1~18節

聖会2 午後 
聖書 ヨハネ10:1-18
説教題 「愛の声をきく」
説教者:小泉 創 牧師(仙台国見教会牧師)

しかし、門から入るのは羊たちの牧者です。門番は牧者のために門を開き、羊たちはその声を聞き分けます。牧者は自分の羊たちをそれぞれ名を呼んで連れ出します。羊たちを皆外に出すと、牧者はその先頭に立って行き、羊たちはついて行きます。彼の声を知っているからです。      ヨハネ10章2-4節 (p.202)

 イエス様は私たち一人ひとりの名前を呼んでくださいます。それは私たちと人格的な交わりをもってくださる、ということです。

1.羊たちの門・牧者
 イエス様はこのたとえの中で、私は羊たちの門である、私は良い牧者である、とおっしゃいましたが聴いていた弟子たちは何のことなのか、分かりませんでした(6節)。自分達が羊なんかじゃない、と思っていたのかも知れません。しかし道に迷いやすく、力なき羊は、私たちによく似ています。
 門、牧者どちらも羊たちには必要です。門は安全を与え、牧者は彼らを導き、守ります。
 牧者は羊たちの名前を知っていてそれぞれの名を呼び、羊たちも牧者の声を知っていてその声に従う。とても美しい関係です。
 同時に偽物の牧者、雇い人、盗人については、羊はその声を知らずついて行かないと言います。彼らは羊を自分のために利用しようと思っている、あるいは羊のいのちを目当てにしているのです。
 イエスの声は私たちに語られる愛の声です。ときに厳しく、危ないところに行くときには私たちを戒め、豊かな約束の言葉を語り続けて下さいます。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる。」(マタイ4:4)
 私たちもイエスの言葉をいつも聞き続けましょう。それは教会が大切にしてきたことです。

2.いのちを豊かに得るため
 神さまはこの地上の世界に、神さまの素晴らしさが現されることを願っておられます。私たちが日々、主と共に歩み、生涯を通して豊かないのちにあずかることができるように、よいわざを通して神さまの素晴らしさを多くの人と分かち合うことができるように、と。
 ヨハネの黙示録は、西暦90年代に書かれたと言われています。彼は弟子たちの誰よりも長生きをしました。他の弟子たちは既に世を去りました。イエスを信じる信仰のゆえに、ヨハネも迫害を受け、パトモス島に島流しになりました。早く世を去って、イエス様のもとにという思いがあったかもしれませんし、いつまでこの苦しみが続くのかと嘆いていたかもしれません。その中で、イエスはヨハネにこれから起こることをみせられました。現実は厳しく、世の終わりにますます困難は増していき、悪魔は最後の悪あがきをします。しかしそれにもまさって、神さまは素晴らしいことをしてくださると約束されています。本当の勝利者、本当の王は、ローマ帝国の皇帝ではなく、ほふられ、命をすててくださった小羊、弱く力なき者にみえるキリストです。どのような苦しみの中にも神は勝利者として共にいてくださり、すべての虐げられた者たちの目から涙をことごとくぬぐいとってくださいます。ヨハネはの現実はあいかわらず島流しになっている自分、やりたい放題をしているローマ帝国の姿ががありましたが、イエスは勝利者として共にいてくださる現実に目が開かれ、「希望の書」黙示録を残しのです。
 誰も奪うことのできないいのちが私たちに与えられています。そのいのちはさらに豊かになっていきます。神さまのご真実味わい、互いに愛し合いましょう。