四旬節 第4主日礼拝 2026.3.15
聖書箇所: マタイの福音書22章1-14節
説 教 題: 「王の招き」
説 教 者: 辻林 和己師
イエスは彼らに対し、再びたとえをもって話された。「天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。…」マタイの福音書22章1-2節 (p.45)
序 論)前章後半の「ぶどう園と農夫のたとえ」(21章33-44節)に続いて主イエスは「結婚披露宴のたとえ」を宗教指導者たち(祭司長たちとパリサイ人たち)に語られます。(1)
このたとえを通して示されることは…
1、結婚披露宴(祝宴)は天の御国(神の国)の祝福を表す
披露宴(祝宴)を催した「王」は父なる神様、「自分の息子」は御子イエス様を表しています。(2)
「結婚の披露宴」は天の御国(神の国)の祝福を表しています。
その祝福は、神様から御子イエス様を通して、「披露宴に招待した客」(イスラエルの民)に与えられることになっていました。(3)
王が遣わした「しもべたち」は旧約の預言者たちを意味しています。
父なる神様は御子イエス様を地上に遣わされる前に、預言者たちをイスラエルの民に送られたのです。そして民を招かれました。(4)
4節の記述は、祝宴が心を込めて準備されたことを示しています。
ところが招待した客たちは、自分たちの事情を優先して、その招きに応じませんでした。(5)
これはイスラエルの民が預言者たちのことばに耳を傾けようとしなかったことを表しています。
また他の人たちは、預言者たちをひどい目に合わせ、亡き者にしました。(6)
それに怒った王は、招待した人たちを滅ぼされます。(7) 5-6節は、神様が遣わされた預言者たちを迫害するイスラエルの民、そして、この時、目の前におられる救い主イエス様を殺害しようとしていた宗教指導者たちの姿を示しています。
7節は、後に起こる彼らに対する神のさばきを暗示しています。(AD70年、ローマの軍隊の侵略により、エルサレムは陥落し、神殿は崩壊した。)
2、イエス・キリストを着る
「招待した人たちはふさわしくなかったので」王はしもべたちに大通りに出て行かせ、「良い人でも悪い人でも出会った人をみな」披露宴に招き、会場に集めます。(8-10)
祝宴は招かれた人たちでいっぱいになりました。(10)
王が会場に入って、客たちを見ると一人だけ礼服を着ていない人がいました。(11)
この時の「婚礼の礼服」は、祝宴の直前に招き入れられた客に王宮で王から与えられた着物だったと考えられます。
当時、婚礼の礼服は白く清潔なものが望まれました。
平服、特に汚れた服で祝宴に臨むことは主催者に対して非常に失礼なことでした。
王は礼服を着ていない人に、問いかけます。(12)
そして、王は召使たちにその人を外の暗闇に放り出すように、命じました。(13)
この礼服を着るとは、何を意味しているのでしょう。
新約聖書には、イエス・キリストを着る、ということばがあります。(ローマ人への手紙13章14節p319、ガラテヤ人への手紙3章27節p378)
キリストを着る、とはイエス様を救い主と信じ、心に受け入れること、そして、主イエスとともに歩むことです。
結 論) 「礼服を着る」は何を意味するかについては様々な解釈があります。
どの解釈であっても、大切なことは、祝宴(天の御国)へ招いてくださった父なる神様への感謝と畏敬の思い、そして御子イエス様を信じる信仰です。
このたとえを語られた主イエスは最後に、「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」(14)と言われます聖書のみことばに触れる人は多くても、神様を畏れ敬い、主イエスを信じ、従う人は少ないのです。
そうであっても、父なる神様は、今も、すべての人が救われることを願っておられます。(テモテへの手紙 第一2章4節p419)
そして、すべての人を天の御国に、そのひな型である教会に招いておられます。
主イエスを信じる者とされたことを感謝し、一人でも多くの人が神様の招きに応え、みこころを知り、信仰が与えられますようにと祈り続けましょう。
