四旬節 第3主日礼拝 2026.3.8
聖書箇所: マタイの福音書21章33-46節
説 教 題: 「ぶどう園と農夫のたとえ」
説 教 者: 辻林 和己師
「…主人は、前よりも多くの、別のしもべたちを再び遣わしたが、農夫たちは彼らにも同じようにした。その後、主人は『私の息子なら敬ってくれるだろう』と言って、息子を彼らのところに遣わした。…」マタイの福音書21章36-37節 (p.44)
序 論)主イエスが、エルサレムに入城された日から二日後(受難週の火曜日)、主は宮で「祭司長たちや民の長老たち」(宗教指導者たち)(23)と問答され、たとえ話を語られました。(23-32)
次に主は「ぶどう園と農夫のたとえ」を彼らに語られます。 このたとえを通して示されることは…
1. 父なる神はひとり子を遣わされた
当時、ぶどう園を造るのは、ぶどうの実から「踏み場」(33)で、ぶどう酒を作るためでした。
主人はぶどう園を獣から守るため垣根を巡らし、盗人や火事等を見張るため、やぐらを建てました。(33)
これは、主人がぶどう園を大切にし、収穫を期待して準備したことを示しています。
このたとえのぶどう園はイスラエルの民、主人は神様を
表しています。(イザヤ書5章1-7節p1173)
「農夫たち」は宗教指導者たちのことです。
「しもべたち」は預言者たちを表しています。(34)
神様は、イスラエルの民やその代表である宗教指導者たちのもとに預言者たちを送られました。
「収穫の時」は「神の国」が近づいた時です。(43)
「自分の収穫」(34)は原文では「彼(神)の実」です。
ところが、彼らは、主人(神様)の期待を裏切り、預言者たちをひどい目にあわせました。(35)
派遣された預言者たちがそのような目にあっても、神様は忍耐強く別の預言者たちを送られました。(36)
しかし、宗教指導者たちは、彼らに対しても同じ様にしたのです。
最後に、神様は、「私の息子」、御子イエス様をイスラエルの民に遣わされました。(37)
「『…敬ってくれるだろう』」(37)ということばに、イスラエルの民や宗教指導者たちが主イエスを信じ、受け入れてほしいという神様の切実な願いが込められています。
2.神がなされた不思議なみわざ
たとえの中で、農夫たちは主人から遣わされた息子を「ぶどう園の外に放り出して」殺してしまいました。 (38-39)
主イエスは、その主人は農夫たちをどうするでしょうか、と宗教指導者たちに尋ねられます。(40)
彼らは、主人は農夫たちに厳しいさばきをし、そのぶどう園を別の農夫たちに貸すでしょう、と答えます。(41)
このたとえで語られているように、宗教指導者たちは、主イエスを亡き者にすることを企みました。そして、十字架の死にまで追いやったのです。(38-39)
その後、彼らの答え(41)のように、AD70年にローマ軍によってユダヤの国は滅び、神殿は破壊されてしまいます。宗教指導者たちの答えに対して、主イエスはさらに、彼らの行為とご自身との関係を、詩篇118篇22-23節(p1059)を引用し、教えられました。(42)
この引用されたことば自体がもう一つのたとえです。
「家を建てる者たち」は、神の宮を建てるべき指導者たちです。
「捨てた石」(42)は、彼らによって苦しみを受け、十字架で死なれる主イエスのことです。
「要(かなめ)の石」(42)や「この石」(44)は、建物の中で最も重要な石で、ここでは、復活される主イエスのことです。(二つの壁の結合点の土台石。口語訳は「隅(すみ)のかしら石」。)
「神の国の実を結ぶ民」(43)は、後に、主イエスを信じ、従う人たち、「教会」を指して言われています。
どんなものも主イエスを砕くことはできません。かえって自分が砕かれることになります。(44)
人間の側の応答によって、「石」であられる主は、土台ともなれば、さばきの石ともなられます。
主イエスのこれらのたとえを聞いた指導者たちは、自分たちについて言われたことに気づき、主を捕えようとしますが、この時はできませんでした。(45-46)
結 論) 宗教指導者たちが「捨てた石」である主イエスを神様は復活させられ、「要の石」とされました。(使徒の働き4章10-11節p238)
それは神様がなさった不思議なみわざです。(42de)
イスラエルの民を代表する宗教指導者たちの不信仰と悪行に対しても、神様は御子イエス様の受難(苦しみと十字架の死)と復活を通して、そのご愛と真実を貫かれたのです。
神様は、私たちに対しても御子イエス様を「敬うこと」(信じ、心に受け入れ、従うこと)(37)を願っておられます。
要の石が建物全体を支える中心の石であるように、私たちの人生も主イエスを要の石、中心として歩みましょう。 (ペテロの手紙 第一 2章4-7節p467)
