四旬節 第1主日礼拝 2026.2.22
聖書箇所: マタイの福音書21章12-22節
説 教 題: 「祈りの家」
説 教 者: 辻林 和己師
そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、おまえたちはそれを『強盗の巣』にしている。」マタイの福音書21章13節 (p.43)
序 論)主イエスはエルサレムに入城されました(6-8)。
過越祭のため集まっていた人たち(巡礼者たち)は主を歓呼で迎えます。(9)
この日は、後に教会暦で「棕櫚(しゅろ)の主日」と呼ばれる日であり、「受難週」の初日でした。
その後の、主イエスの言行を通して示されることは…
1、真の礼拝を失っていた宮(神殿)をきよめられる
翌朝(月曜日の朝)、主イエスはエルサレムの宮(神殿)に行かれます。
宮の「異邦人の庭」と言われる場所で、二種類の商売、両替と供え物にする動物の売買が行われていました。
神の名を用いて、宮を悪質な利益の場にし、悪辣(あくらつ)な搾取をしている宗教指導者たちやそれに追従する人たちに対して主イエスは怒られます。
そして、「宮きよめ」をなさいました。(12)
続いて、主は彼らに語られます。(13)
13節のみことばの中で、主イエスはイザヤ書56章7節(p1263)を引用されました。「強盗の巣」はエレミヤ書7章11節(p1300)にあることばです。
エレミヤの時代もこのときも宗教指導者たちは「神の民」とは名ばかりの、神に対して不誠実な生活をしていました。
宮の中で、主イエスのみもとに来た目や足の不自由な人 たちを主は癒されます。
それは、メシア(救い主)だけにできるみわざです。(イザヤ書35章5-6節p1222)
子どもたちは、主イエスを「ダビデの子(メシア)…」と賛美します。(15)
「祭司長たちや律法学者たち」(宗教指導者たち)は主イエスがなされたことと子どもたちの叫ぶ姿を見て、腹を立てました。
そして、主イエスに尋ねます。(16ab)
主は、詩篇8篇2節(p939)を引用して答えられました。 (16cde)
主イエスに癒された人々や主を賛美する子どもたちは、神の御子、救い主イエス様を礼拝する人たちの代表でもありました。
2、全能の神様に信頼して祈る
翌日(火曜日)の朝、ベタニア(エルサレムから東方約3㎞オリーブ山のふもとにある村)から都(エルサレム)に帰られます。(17-18)
途中、一本のいちじくの木を見られます。(19a)(ユダヤのいちじくの実は8月頃成熟するが、春にも「早なり」のものがあった。)
主は実の無い、いちじくの木を枯らされます。(19bc)
いちじくは神の民イスラエル(ユダヤ)の象徴でした。(エレミヤ書24章5節p1335等)
「葉があるだけで、ほかには何もない」(19a)いちじくの木は、神殿を商売の場所にし、神様が遣わされた御子イエス様を受け入れないユダヤの民の象徴でした。
主イエスが木を枯らされたことは、やがてエルサレムに臨もうとしている神のさばきを予告する象徴的行為でした。 (AD70年、ローマ帝国の軍隊によって神殿は崩壊する。)
弟子たちは、主イエスの真意に気づかず、ただ主のことば通りに木が枯れたことに驚き尋ねます。(20)
主は彼らに答えられ、全能の神様に信頼して祈ることを教えられました。(21-22)
「山」は、大きな問題や、障害物のユダヤ的比喩です。
「山が動く」は、人間の目には解決することが不可能に思える困難や難事が解決したり、道が開けることを表しています。
何に対してもすぐ不可能に思ってあきらめてしまいがちな私たちを、主イエスは全能の神様に信頼して祈るようにと励ましておられます。
結 論) 宗教指導者たちは、主イエスをねたみ、亡き者にしようと企みます。
主イエスは、十字架で死なれ、後に復活されます。
主の十字架の死と復活は、人を罪から救うための神様のご計画とご意志によってなされたことでした。
主はご自身のからだを神殿と言われ、そのことをすでに予告しておられました。(ヨハネの福音書2章18-22節p179)
主イエスを神の御子、救い主と信じる者のうちに聖霊によって主は住まわれます。(ヨハネの福音書14章20節p214)
私たち一人ひとりが、神の宮とされているのです。(コリント人への手紙 第一 3章16節p330)
主イエスを信じ、礼拝し、祈りと賛美をささげる人たちの集まりが教会であり、神の宮(神殿)です。
これからも教会を祈りの家とし、共に主を礼拝する民として歩んでまいりましょう。
