イザヤ書43章1~7節

公現節 第7主日礼拝     2026.2.15
聖書箇所: イザヤ書43章1-7節
説 教 題: 「あなたは高価で尊い」
説 教 者:     辻林 和己師

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。だから、わたしは人をあなたの代わりにし、国民をあなたのいのちの代わりにする。イザヤ書43章4節 (p.1237)

序 論)
神様に選ばれたイスラエルの民でしたが、神様に対して不信仰な歩みをしていました。(42章24節)
 しかし、神様はそのような民をあわれみ、語りかけ、救いの御手を伸べられます。(1a)
 今回の箇所から示されることは… 

1、贖い主の呼びかけと約束
 
「ヤコブよ」(1b)はここでは、イスラエルの民に対して神様が呼びかけておられます。
 神様は、天地を造られ、イスラエルの民を形造られた創造主(造り主)です。(1b)
 そして、イスラエルの民を「贖った」と言われます。(1c)「贖(あがな)う」は、負債を負った者に代わり負債を支払う行為を表すことばであり、「買い戻す」という意味です。
 2節のことばは出エジプトとヨルダン川を渡り、カナンに入るときの出来事と恵みを想起させます。
 かつて、イスラエルの民はエジプトで奴隷となっていました。
 神様は、そのような時も民と共におられ、彼らをエジプトから贖われ、救い出されました。(出エジプト記2章23-25節p101、14章13-31節p124等、ヨシュア記3章1-17節p384)
 出エジプトのときに、イスラエルの民が紅海の中を歩み、ヨルダン川を越えて、カナンの地に入ることできたのは、神様が彼らを贖われたからでした。(2)
 神様にとって民は「わたしのもの」(1e)だから、彼らがどこにいても、彼らを守られるのです。
 神様は「イスラエルの聖なる者」であり、「あなたの救い主」であると宣言されます。(3a)
 「クシュとセパ」はエチオピア地域を指しています。
 神様は、大国のエジプトやエチオピアを打たれ、「身代金」として、イスラエルの民を救い出されたのです。(3b)

2、主のご愛と約束の成就
 神様は、イスラエルの民に「わたしの目には、あなたは高価で尊い。」(4a)と、そのご愛を宣言されます。
 他の人や国民(くにたみ)を代わりにしても、民を救い出す、と言われます。(4b)
 イザヤの預言の後、バビロン捕囚、エルサレム陥落や捕囚からの解放の出来事が起こります。(BC597年~538年頃)
 神様は、イスラエルの民を選び、愛されるが故に、たとえ彼らが全世界に散らされたとしても、彼らを、あらゆる
 国民(くにたみ)の中から集められます。(5-6)
 「わたしの名で呼ばれるすべての者」(7)は、イスラエルの民だけでなく、後の時代に主を信じるようになる諸国の民のことも指しています。
 神様はどうしてこのような救いのみわざを成そうとされたのでしょうか。
 その理由は、イスラエルの民が立派だからでも、何かよいことをしたからでもありません。
 それは、ただ神様が創造された者たちだからです。
 神様は、ご自身の栄光のために、民を創造されました。 (7)
 イスラエルの民は、神様の御前に罪深き者であるにも関わらず、神様は彼らをあわれまれ、愛されました。
 神様が、民を救われるという約束は、イザヤが預言した時代から約700年後に、イエス・キリストによって成就したのです。

結 論) 父なる神様は、すべての人を罪から救うために、御子イエス様を「贖いの代価」とされました。 (マタイの福音書20章28節p41)
 この「贖いの代価」のギリシア語の原語は「身代金」とも訳されることばです。
 主イエスはご自身のいのちを「贖いの代価」とされたとは、十字架で死なれたことです。
 主は十字架の死とその後の復活によって、あがないのみわざを成されました。
 私たちも罪ある者、神から離れていた者でしたが、神様は、ご自身のひとり子イエス様を犠牲とされ、私たちに救いをもたらしてくださったのです。
 イエス様を神の御子、救い主と信じ、心に受け入れる者は、罪赦され、神の子とされています。
 そして、今は、主イエスを信じる者たちが、神の民とされています。
 イスラエルの民をあわれみ、愛された神様は、今は、すべての人を同じ様に愛され、一人ひとりの名を呼ばれ、「わたしの目には、あなたは高価で尊い」(4)と仰っています。(1d、4b)
 そして、様々な試練の中からも救い出してくださいます。それは、神様が私たちを造られ、愛しておられるからです。
 神様のご愛と主イエスの贖いの恵みに感謝し、さらに主を求めて歩みましょう。