マタイの福音書20章29~34節

公現節 第5主日礼拝      2026.2.1
聖書箇所: マタイの福音書20章29-34節
説 教 題: 「主よ、あわれみたまえ」
説 教 者:     辻林 和己師

すると見よ。道端に座っていた目の見えない二人の人が、イエスが通られると聞いて、「主よ、ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫んだ。マタイの福音書20章30節 (p.42)

序 論)
主イエスは弟子たちに話された(25-28)後、エリコを出て、エルサレムに向かわれます。(29)(エリコはエルサレムから北東約22㎞にある町)
 そのときに起こった出来事と主イエスの言行を通して示されることは…

1、二人の盲人の叫び
 
この「大勢の群衆」(29)は、エルサレムで開かれる過ぎ越しの祭りに参加する巡礼者たちです。
 そのとき、目の見えない二人の人が主イエスに向かって叫びました。(30)
 「ダビデの子」は、ダビデの子孫からお生まれになる、メシア(救い主)を意味する称号です。
 主イエスはすでに多くの人たちを癒されました。
 盲人の目が開かれることはメシア到来のしるしでした。 (イザヤ書29章18節p1212、35章5節p1222)
 この二人も主のなされたことを聞いていたことでしょう。 (マタイの福音書9章27-31節等p16)
 群衆は、彼らの叫び声のために主イエスの教えが聴き取れなかったのかもしれません。彼らを黙らせようとしました。(31)
 しかし、彼らはますます、主に向かって叫びました。
 「主よ、…あわれんでください」(「主よ、…あわれみたまえ」、「主よ、憐(あわ)れめよ」(文語訳))のギリシア語は「キリエ・エレイソン」です。
 このことばは、カトリックや東方教会(ギリシア)正教会等では、祈りや賛美のことばとして用いられています。

2、二人は主イエスに従って行く
 二人の叫びを聞かれた主イエスは、立ち止まり、彼らを呼んで御声をかけられます。
 主イエスは二人の願いをすでにご存知でしたが、あらためて「わたしに何をしてほしいのですか」と尋ねられました。(32)
 彼らは、主に「…目を開けていただきたいのです」と答えました。(33)
 それを聞かれた主イエスは彼らを「深くあわれ」まれました。(34a)
 「深くあわれむ」の原語は、内臓が激しく痛む、と言う意味のことばが由来です。へブル思想では、内臓は人間の深い感情の宿る所と考えられていました。
 主イエスは激しく心動され、あわれみの御手を差し伸べられました。
 主は二人の目に触れられました。(34a) 彼らは、主の御手の温かさを感じ、その御手に主のあわれみ深さを感じたことでしょう。
 すると、すぐに彼らの目は癒され見えるようになりました。(34b)
 その後、二人はエルサレムに、十字架に向かわれる主イエスについて行きました。
 彼らは主のご愛と恵みに応答し、自発的に喜んで主に従ったのです。
 このように主イエスは二人の願いを聞かれました。
 この二人と、先に自分たちの将来の栄達を求めた「ゼベダイの息子たち」(主イエスの弟子であるヤコブとヨハネ)二人は対照的です。(20-21)
 主はヤコブとヨハネに「あなたがたは自分が何を求めているか分かっていません。…」と告げられました。(22)
 主の弟子たちはまだ、霊的な目が開かれていなかったのです。

結 論) このときの弟子たちのように、かつての私たちも霊的盲目の(神様から離れている)状態にありました。
 しかし、そのようなすべての人たちのため、主イエスは十字架で死なれ、復活されました。
 そして、聖霊のお働きとみことばによって、私たちの目を開き、主エスを信じる者としてくださったのです。(エペソ人への手紙5章8節p390)
 主イエスによって目が開かれた二人が、最初に目にしたのは、主イエスの御姿でした。
 ある説教者は、「二人が次に見つめたのは、互いの顔だった。」と霊想しています。
 この二人は一緒に主について行きました。
 私たちも主イエスによって、霊の目を開いていただいた者です。そして、同じ様に、霊の目が開かれた主にある兄姉とともに主に従って歩んでいくのです。