詩篇103篇1~22節

降誕節 第1主日礼拝    2025.12.28
聖書箇所: 詩篇103篇1―22節
説 教 題: 「神の恵みを覚えて」
説 教 者:     辻林 和己師

 わがたましいよ 主をほめたたえよ。
 私のうちにあるすべてのものよ
 聖なる御名をほめたたえよ。
  わがたましいよ 主をほめたたえよ。
 主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
  詩篇103篇1-2節  (p.1040)

序 論)
詩篇103篇は、「ダビデによる」と表題がついています。もともとダビデがこの歌の原型を作り、それが歌い継がれる中でより整えられ、今の形になったのではと言われています。
 「全詩篇中最も美しい賛美の詩」とも言われています。
 この詩篇を通して示されることは…

1、すべての恵みを心にとめる
 
詩人は、この詩篇の最初と最後に「わがたましいよ、主をほめたたえよ」と三度(1、2、22)繰り返して歌います。
 「私のうちにあるすべてのものよ…」と私の知性、感情、 意志等、自分の持てるすべてのものをもって、神様を心から賛美するようにと呼びかけています。(1)
 「主が良くしてくださったこと」(2)は、新共同訳では、「主の御計らい」と訳されています。その一つ一つが3~5節に語られています。
 それらは「咎(罪)の赦し」、「病の癒し」、「いのちの贖い」、「恵みとあわれみ」、「良いもので満ち足らせてくださること」、「新しくしてくださること」です。
 それらのことを「何一つ忘れるな」(2)と告げます。
 罪から解放されること、罪が赦されること、これは人間の力では出来ません。しかし、神様が私たちに与えて下さった御子イエス様が罪の赦しの道を開いて下さいました。私たちの罪からの解放、それは、イエス様の十字架の死と復活によって成されたのです。
 「穴」(口語訳、新共同訳では「墓」と訳されている)(4)をある英訳聖書(KJV)は「破滅」と訳しています。罪によりもたらされた霊的死(神様との交わりが失われている状態) からイエス様は、私たちを贖(あがな)い出し、復活によって永遠の命に生かして下さいました。(エペソ人への手紙2章1-5節p385)

2、神様の恵みとあわれみ
 さらに、神様は、私たちの求め、願いに応え、良きもので満たして下さいます。(5)
 「鷲のように新しくなる。」(5) 猛禽類(もうきんるい)の鷲(わし)は、体も大きく、力強く、高く飛翔することができます。体の小さな鳥よりも長命です。神様からの命とと力が、鷲(わし)の生命力にたとえられています。
 私たちは神の恵みによって、新たな力をいただくことが できるのです。
 「しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼を広げて、上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。」(イザヤ書40章31節 p.1232)
 5節までは、個人的な救いの体験、恵みの証しが記されていますが、6~12節は、イスラエル民族の恵みの証しが歌われています。神様はイスラエルの歴史を通して正義と公正を示されました。
 出エジプトやバビロン捕囚からの解放は、神様が成された救いのみわざです。
 モーセは出エジプトの後、進むべき道を神様に尋ねます。 (7)(出エジプト記33章13節 p.160)
 それは、モーセがシナイ山に登って十戒を神様からいただいていた留守中、山のふもとで偶像礼拝に陥ってしまったイスラエルの民を神様が見離そうとされた時でした。
 神様はモーセのとりなしの祈りに応えられて、民を見捨てることをなさらず、カナンへの道を示し続けられました。(出エジプト記34章8-10節p162)
 「東が西から遠く離れているように…」(12)は、神様がなさる罪の赦しは完全なものであることを示しています。
 人の一生は草のようにはかなく、その栄えは野の花のように短いものです。(15-16)
 しかし、神様のあわれみは永遠であり、神様はキリストによって私たちのいのちを輝かせて下さいます。(17)

結 論) 神様はあわれみに富み、恵み深いお方です。(8~9,13) 神様の最大の恵みは、イエス・キリストの十字架と復活によって示されました。
 神様が主イエスによって成された救いのみわざによって私たちの罪が赦され、死からいのちへ移されました。(ヨハネの福音書5章24節p186)
 これがこれからも変わらず一番に感謝すべき恵みです。一日一日、神様の恵みを心に留めつつ、歩みましょう。
 この一年を振り返り、感謝の祈り、賛美をささげながら、新しい年のために祈り、備え、新しい恵みを待ち望みましょう。