ヨハネの福音書3章16~21節

待降節 第4主日礼拝     2025.12.21
聖書箇所: ヨハネの福音書3章16-21節
説 教 題: 「ひとり子をお与えになったほどに」
説 教 者:     辻林 和己師

神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネの福音書3章16-17節  (p.180)

序 論)主イエスとニコデモとの対話(1-15)を記した後、ヨハネ福音書は「福音の要約」と言われる言葉を語ります。(16)そして、主による救いについて記します。(17-21)
 今回の箇所を通して示されることは…

1、神は、世を愛された
 神様の愛の対象は「世」(16)です。「世」とは神の選民であるイスラエルの民だけでなく、時代も民族も超えたすべての人のことです。
 では「世」は、神様に愛されるだけの価値があったでしょうか。まったくありませんでした。なぜなら、真の神様を知らず、むしろ神を否定し、無視し、背を向け、信じない世界が「世」だからです。(19-20)
 神を否定し、信じない人間は、神の代わりに被造物(神様が造られた天体や動物、人間等)や像(人間が作った物)を崇める者となりました。(ローマ人への手紙1章21-23節p298)
 その結果、自己中心となり、具体的な罪を犯す者となり ました。(ローマ人への手紙1章28~32節p298)
 それゆえ「世」は、「罪の世」であり、「汚れた世」です。それにもかかわらず、神様は「世」を愛してくださったのです。ここに神様の無条件の愛が現われています。
 人間の愛は「もし…ならば」、「…だから」の条件つきの愛です。しかし、神の愛は「…にもかかわらず」の無条件で絶対的な愛です。ですから、この神の愛の対象から漏れる人は一人もいません。
 神様はそのご愛で、「世」を愛されたのです。それは、たとえ人が神から離れていても、神に敵対する者であっても、変わることなく愛される愛です。

  

2、御子を信じる者は永遠の命を得る
 さらに驚くべきことは、「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに」(16)世を愛してくださったのです。「与える」の原語には、「明け渡す(引き渡す)」という意味が含まれています。
 父なる神様は、ご自身の愛の対象、喜びの源である「ひとり子」、イエス様を引き渡された(犠牲にされた、お見捨てになった)ほどに「世」(私たち一人ひとり)を愛されました。
 神様がひとり子をお見捨てになった犠牲とは、イエス・キリストの十字架のことです。神様は、一つの罪も、少しの汚れもないお方、捨てられる理由など全くないひとり子イエス様を私たちの身代わりとして十字架の死に渡されるほどに、この世を愛されたのです。
 神様はなぜ、それほどのことをされたのでしょうか。
 一つは、「世」(私たち)を滅びから救うためです。(16b-18b) 滅びとは、神様との交わりのない世界に置かれたまままでいることです。それは、愛、慰め、光が届かない所です。
 もう一つは、「世」(私たち)に永遠のいのちを与えるためです。永遠のいのちとは地上においても、天の御国においても、神様との交わり、イエス様との交わりの中で生かされることです。
 私たちが地上の生涯を終えても、天の御国で永遠のいのちに生かされるのです。
 私たちが罪から救われ、永遠のいのちを得るために必要なことは、悔い改めと信仰です。
 悔い改めとは、神様に心を向け、自分が罪ある者であること、心の罪、言葉の罪、行いの過ちも、正直に認めて

 神様に告白することです。
 「もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。」 (ヨハネの手紙 第一1章9節p478)
 そして、イエス・キリストが自分の身代わりとして十字架で死なれ、復活されたことを信じることです。
 「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」 (ローマ人への手紙10章9-10節p314)

結 論)神様の愛のゆえに、キリストによって世界のすべての人々に救いの扉が開かれています。すなわち、救いの恵みは世界のすべての人々のために備えられています。
 それゆえ、だれでも、イエス様を神の御子、救い主と信じ、心に受け入れるなら救われるのです。
 クリスマスは、父なる神様が、ひとり子イエス様を私たちに与えてくださったことを喜び、感謝するときです。
 クリスマスを共にお祝いしましょう。
 そして、このとき、一人でも多くの方が、イエス様を信じ、心に受け入れることができるよう、祈りましょう。