ルカの福音書1章8~25節、57~66節

待降節 第1主日礼拝     2025.11.30
聖書箇所: ルカの福音書1章5-25節、57-66節
説 教 題: 「聞き入れられた祈り」
説 教 者:     辻林 和己師

 御使いは彼に言った。「恐れることはありません、ザカリヤ。あなたの願いが聞き入れられたのです。あなたの妻エリサベツは、あなたに男の子を産みます。その名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって、あふれるばかりの喜びとなり、多くの人もその誕生を喜びます。 ルカ1章13-14節  (p.106)

序 論)この章の5-25節は、バプテスマのヨハネ(洗礼者ヨハネ)の誕生の背景が記されています。
 父親のザカリヤは、礼拝の務めをする祭司でした。ザカリヤと妻エリサベツにはその時まで子どもが与えられませんでした。ある日、彼は神殿の聖所に入り、特別な礼拝をする当番に当たっていました。
 その時に起こったこととその後の出来事を通して示されることは…

1、主に先立って歩む人
 聖所の中でザカリヤが香をたき礼拝の務めを果たしていると、そこに主の使い(天使)が立っていました。(11)
 非常に恐れを感じた彼にみ使いが語ります。(13-17)。
 二人の間に誕生する子は、旧約の預言者エリヤの霊と力をもって、ユダヤ人たちを神様に立ち返らせる使命を与えられている、と主の使いは語ります。(17) (マラキ書4章5-6節p1635)
 しかし、ザカリヤはみ使いの言葉を聞いても、「…何によって知ることができるでしょうか。…」(18)と言って、それを信じませんでした。
 み使いガブリエルがザカリヤに伝えたのは「良い知らせ」(19)でした。しかし、それを信じることができませんでした。
 そのため、彼は口がきけなくなってしまいます。(20)
 神様はザカリヤに罰を与えられたのではありません。「その時が来れば実現するわたしのことば…」(20)と言われる神様の約束が成就するまで、神様の前に静まる必要があったのです。
 神様の計画よりも自分の考えを優先してしまう彼にとって、この約半年の期間は、主の前に静まる時をもって、神様の言葉を受け止め、黙想し、信仰が強められる時でした。  

2、ヨハネの誕生とあふれる賛美
 エリサベツはみごもり、ついに男の子の誕生の日を迎えます(57)。
 「主がエリサベツに大きなあわれみをかけて…」(58)の原文を直訳すると「主がエリサベツにあわれみを大きくされて…」です。神様は、ザカリヤ、エリサベツの長年の祈りを聞き、顧み、あわれんでくださったのです。周りの人々もその誕生を喜びました。(「ザカリヤ」は「主は覚えておられた」という意味。)
 そして生まれて8日目、割礼と同時に命名するために人々が集まりました。彼らは、父と同じ名前にしようと言いましたが、エリサベツは、「…名はヨハネと…」(60)と言い、ザカリヤも「その子の名はヨハネ」と書き板に記しました。(63)(ヨハネは「主はいつくしみ深い」という意味)
 ザカリヤの口が開かれた瞬間、彼は神様をほめたたえました。(64)
 彼は、神殿の中での不思議な出来事やヨハネという名前の由来を語ったのではなくただひたすら神様をほめたたえたのです。
 ザカリヤは信仰が強められ、心新たにされました。彼の 心にあったのはヨハネが生まれたことへの感謝だけではあ りませんでした。み使いが教えてくれた通り、この後、ヨハネがイスラエルのために大切な役目を果たす人になるこ とを信じて、神様をほめたえました。
 成人した後、バプテスマのヨハネは、イスラエルの多く の人々を神様に立ち返らせ、イエス様を指して「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言い、このお方が救い主であることを証ししました。(ヨハネの福音書1章29節p.176)
 彼は、救い主が来られる前の「先駆者」としての使命を果たしたのです。

結 論) 神殿で香をたくために選ばれたザカリヤの大切な務めはイスラエルの祝福を祈ることでした。
 神様は、ザカリヤが民の祝福のための祈り、以前に願っていた子どもを与えてくださいという祈りの両方を聞かれ、それらに応えてくださったのです。 
 私たちのささげる祈りは、神様の全知全能の御手の中で応えられていきます。これは難しい、無理なのではと、私たちが思ってしまうことでも、神様は聞いておられます。そして、必ず祈りに応えてくださいます。
 私たちが思っていたのと違う応えや導きのときもあります。また私たちの祈りに対して、神様のくださる応えが、私たちの思いを超えてはるかに素晴らしいときもあります。
 どんな応えでも喜んで受け止め、神様を賛美する者とさせていただきましょう。神様は最もよいものを用意され、定められたときに与えてくださるのです。
 神様は、私たちの祈りを聞き、覚えていてくださいます。世界や国のこと、家庭や個人のこと、私たちにとって大きいと思えることから小さいと思えることまで、神様に祈りをささげましょう。