詩篇16篇1~11節

三位一体・第20主日礼拝   2025.10.26
聖書箇所: 詩篇16章1-11節
説 教 題:  「いのちの道」
説 教 者:     辻林 和己師

あなたは 私のたましいをよみに捨て置かずあなたにある敬虔な者に滅びをお見せにならないからです。あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。満ち足りた喜びが あなたの御前にあり楽しみが あなたの右にとこしえにあります。
詩篇16篇10-11節 (p.945)

序 論)この詩篇の表題にある「ミクタム」は何を意味しているのか、についてはいろいろな説があります。
 「黄金の歌」や「静かな声」を意味するのでは、とも言われています。
 この詩を通して作者のダビデは、神様を信頼する者の幸いを歌っています。
 この詩篇を通して示されることは…

1.守ってくださる神様を信頼する
 この詩を歌った当時のダビデは、危険な状況の中に置かれていたと考えられています。
 そのような中でも、彼は神様に信頼し、自分の幸いは、「あなたのほかにはありません」と歌います。(1-2)
 「地にある聖徒たち」(3)は、地上で神様を信じるダビデの信仰の仲間たちのことです。
 彼は、彼らが主を信じて歩む姿を喜んでいます。(3)
 「ほかの神に走った者」(4a)は真の神から離れ、神以外の偶像を神として礼拝するようになった者です。
 「血の酒を注ぐ」(4b)は、偶像に対して行っていた儀式だと言われています。
 しかし、詩人は、自分は偶像の名すら口にせず、神様のみを信じて歩むと語ります。(4b)
 ダビデは、自分への土地の「割り当て分」以上に、主ご自身を信じて歩むことができる幸い、「永遠の割り当て」が与えられていることを感謝し、歌います。(5-6)
 またここでの「杯」は「人生」を意味しています。(5)
 「主は・・・杯」は主が共におられ、主に導かれて歩む人生を示しています。
 さらに神様を信じる者とされた感謝と喜びを夜の静かな時により強く覚えています。(7)
 自分を主のしもべとするダビデに主は必要な助言を与えてくださいました。            

2.主イエスの復活といのちの道
 「主を前にする」(8a)は、主に従うことを意味しています。
 「主が私の右におられる」(8b)は主が共にいてくださり、必要なときに助けとなってくださることを意味しています。
 「心」、「胸」、「身」は私の「全存在」を示しています。(9)
 それほどにダビデは主を喜び、主にある平安を覚えていました。
 さらに神様への信頼と交わりの喜びは肉体の死によって断たれるものではないと歌います。(10)
 ダビデが王であった時代から約1000年後、主イエスの十字架の死と復活による救いのみわざが成されました。
 その後のペンテコステの日、聖霊が弟子たちに降り、使徒ペテロは集まっていた人たちに、イエス様が来るべきメシア(キリスト)であることを証しする説教をします。
 ペテロは、説教の中で詩篇16篇8-10節を主イエスの復活を預言していることばとして引用し、主の復活を語りました。(使徒の働き2章23-33節p235)
 最後にダビデは主を前にし、主との交わりを持ちながら歩むことが「いのちの道」であり、主が喜びと楽しみを与えてくださる、と歌います。(11)
 この詩篇のことばを通してダビデは、神様と共に歩むことが生涯の喜びであると告げています。                                                         

結 論)使徒パウロも詩篇16篇10節を引用し、主イエスは「神がよみがえらせた方」であると伝えています。 (使徒の働き13章35-37節p261)   
 主イエスはご自身が「いのち」であることを語られました。
 わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者はみな、永遠に決して死ぬことはありません。あなたは、このことを信じますか。」(ヨハネの福音書11章25-26節p205)
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。」(ヨハネの福音書14章6節p213)  
 主イエスとの交わりを持ち続け、永遠のいのちに生かされ、よみがえりの希望を持って共に歩みましょう。