マタイの福音書19章1~12節

三位一体・第18主日礼拝   2025.10.12
聖書箇所: マタイの福音書19章1-12節
説 教 題:  「神が結び合わせたもの」
説 教 者:     辻林 和己師

イエスは答えられた。「あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。…ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」  マタイの福音書19章4-6節 (p.38)

序 論)主イエスは弟子たちと共にガリラヤを去り、「ペレア地方」を通って、ユダヤ地方に入られました。(1-2)
 パリサイ人たちが、主のみもとに来て、質問します。
 それは、主を試みるためでした。(3)       
 その後の、主イエスと彼らのやりとりと主の語られたことを通して示されることは…

1.神が人を男と女に創造された
 当時、「離縁」(離婚)(3)の正当性をめぐって、ユダヤ人の間で意見の対立がありました。
 「何か理由があれば」(3)の理由を姦淫の罪のみとする解釈から、ささいなことでも理由となるという解釈まで存在していました。
 パリサイ人たちは、主イエスの意見を聞き、それをもとに主を貶(おとし)めようとしていたのです。
 しかし、主は離婚のことを前提とせず、神様の創造の秩序にさかのぼって結婚の本質を語られます。(4-6)   
 4節は創世記1章27節(p2)、5節は創世記2章24節(p4)を引用して語られました。
 人を男性と女性に創造し、「ふたりは一体となる」と言われた神の御心(本来、願われていること)に、離婚は反することでした。(4-6)
 離婚できる理由をあれこれ論じるパリサイ人たちに対して、主イエスは彼らこそが「神が結び合わせたものを引き離す」ことをしていると指摘されたのです。(6)
 主のことばを聞いても彼らは納得せず、申命記24章1節(p356)に記されている「離縁状」の規定をもとに主に訴えました。(7)
 主イエスは彼らに答えられます。(8)
 それは命令ではなく、人々の心が頑なである故に、許容されていたことでした。
 離縁状を書くのは、それがない場合、女性が再婚できず、経済的困窮に陥ってしまうことがないように、彼女たちを保護するためでした。  

家庭の祝福、独身者の祝福
 主イエスが言われる「はじめの時」(8)は、神様が最初の男性(アダム)と女性(エバ)を創造された時のことを指して言われています。(創世記1~2章)
 離縁状に関する律法は、アダムとエバが罪を犯した、「人間の堕落」の後に与えられたものです。
 続いて主イエスは離婚について語られ、結婚の大切さを暗に示されました。(9)
 主イエスの結婚に関する厳しい教えを聞いた弟子たちは主に向かって言います。(10)
 当時の男性優位の考え方に慣れていた彼らのつぶやきのようなことばに対し、主は答えらえます。(11-12)
 主イエスはこの弟子たちの発言に、彼らが考えていた以上に深い意味付けをして、語られたのです。
 独身が「許されている人」として、身体的事情がある者、人為的に去勢された者、神の国のため信仰的理由で自発的に独身者になった人を挙げられました。(11-12)  (使徒の働き8章27節p249参照)
 主イエスは「独身主義」を勧めておられるわけではありませんが、「それを受け入れることができる人は、受け入れなさい」(12)と語られました。                                      

結 論)主イエスが語られた、この「夫と妻の一体の奥義」を(4-6)を、使徒パウロはキリストと教会の関係に結び付けて語っています。(エペソ人への手紙5章30-33節p391)
 主イエスが「あなたがたの心が頑ななので…」と言われているように、私たちは神様や人に対して、心頑なで罪ある者です。
 しかし、神様はそのような私たちをあわれまれ、主イエスを与えてくださいました。
 神様のあわれみと主の十字架の贖いにより、私たちは罪赦された者です。
 結婚して家庭を持つことも、独身であることもどちらも神様の祝福です。
 結婚していても、独身であっても、一番大切なことは、主イエスを信じ、主と共に歩むことです。
 主に従い、神様と隣人を愛する歩みを続けてまいりましょう。  

(参考)
   オリゲネス(185頃~254頃)
  エジプトのアレキサンドリア派の代表的神学者
 内村鑑三(1861-1930)
  日本の聖書学者、伝道者
 ジョン・ウェスレー(1703-1791)
  英国国教会の司祭