詩篇119篇130-131節、ヨハネ14章26節

三位一体・第16主日礼拝 協力教会講壇交換礼拝    2025.9.28
聖書箇所: 詩篇119篇130-131節
      ヨハネの福音書14章26節
説 教 題:  「みことばを与えてください」
説 教 者:     田上 篤志師

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを想い起させてくださいます。    ヨハネの福音書14章26節 (p.215)

聖書をとおして神の言葉を聴くことは、神さまから与えられる祝福です。注解書や神学の書物の助けを得ながら〈聖書を理解すること〉と〈神の言葉を聴く〉こととは重なる部分もありますが、やはり違うものです。何が違うかと言えば、神の言葉を聴く体験は、そのために聖書研究や神学の学びをしながら聖書に集中し、出来うる限りの努力をするのですが、その努力によって獲得するというのではなくて、やはり神さまから与えられるものとしかいいようがないからです。そのことを詩篇は「みことばの戸が開くと、光が差し」と表現しています。(詩篇119篇130節p1069)

閉じられていた戸が開かれて、そこから光が射し込んでくる。その戸は、私が努力して開けたというのではありません。戸のほうから開かれる。そして、開かれた戸から射してくる光に照らし出される。神の言葉を聴く体験は、開かれた戸から差し込んでくる光を感じ、光に包まれ、また光に打たれる体験といえるでしょう。そのようにして聴きとられるみことばは「浅はかな者に悟りを与えます」。

    この神さまから与えられる祝福ともいえるみことば体験は、聖霊のお働きによるものです。その聖霊について、キリストは弟子たちにこうお語りになったことがありました。

「助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを想い起させてくださいます。」   (ヨハネの福音書14章26節p215)

    弟子たちは、キリストと共に伝道の旅をつづける中で、キリストから直接いろいろな言葉を聞いてきました。しかし、その言葉を理解し受けとめることができませんでした。そのような弟子たちのことでキリストは「目があっても見えないのですか。耳があっても聞かないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか」(マルコの福音書第8章18節p82)と嘆かずにはおれなかったほどです。そういう弟子たちに聖霊が遣わされて来たときには、その聖霊がキリストのお語りになったすべてのことを教え、想い起させてくださるとキリストは約束なさったのでした。

    ヨハネの福音書第14章26節は、古くから聖霊降臨主日に読まれる聖書の一部とされてきました。聖霊降臨主日の礼拝で語る説教を準備する牧師のために、ディートリヒ・ボンフェッファーによって書かれた説教黙想があります。その中にはこう書かれています。  

  「使徒の働き」では、最初の、ただ一度起った聖霊降臨の出来事について語っているが、「ヨハネの福音書」では、現在の、たえず繰り返し起る聖霊降臨について、あらゆる時代に、教会に起こる聖霊降臨について語られている。

  キリストの言葉をはじめとする聖書の言葉について「すべてのことを教え」「すべてのことを想い起させる」聖霊降臨は、今も私たちの礼拝に起こる祝福です。この聖霊の助けに信頼して、私どもに悟りを与えるみことばの戸が開かれることを祈り求めてまいりたく思います。