マタイの福音書12章43~50節

それから、イエスは弟子たちの方に手を伸ばして言われた。「見なさい。わたしの母、わたしの兄弟たちです。だれでも天におられるわたしの父のみこころを行うなら、その人こそわたしの兄弟、姉妹、母なのです。」マタイの福音書12章49-50節(p25)

序 論)律法学者、パリサイ人たちは、主イエスに「しるし」を求めました。(38)
 主イエスは「悪い、姦淫の時代はしるしを求め」ると嘆かれ、与えられるのは「預言者ヨナのしるし」だけだと、応えられました。(39)
 さらに主イエスは彼らに語られます。
 主の言行を通して示されることは…

本 論)
1.「悪い時代」に起こること
 主イエスは、悪霊につかれて苦しんでいる人たちを癒されました。(22)
 主は、悪霊が追い出された人を「空き家」にたとえて語られます。(43-45)
 「汚れた霊」(43)は悪霊のことです。
 「水のない地」(43)は、当時、悪霊どもが住むと考えられていた荒野や砂漠のことです。
 「掃除されてきちんと片付いている」空き家(44)は、主によって悪霊を追い出していただいた人たちのことです。
 彼らが、主イエスを受け入れず、神の霊(聖霊)で心満たされないなら、以前より悪い霊の支配を受けることになります。(43ab)
 ここでの「空き家」は、パリサイ人たちのことも指して言われています。
 かつてユダヤ人たちは、バビロン捕囚を経験し、それまでの偶像礼拝を悔い改めました。(BC586年、バビロン軍侵攻により、エルサレム陥落)(BC600年頃~BC530年頃 約70年間)
 しかし、その後、パリサイ人たちは、律法の中で一番大切な教え(神を愛し、隣人を愛すること)を見失い、自分たちを義とする、「律法主義」に陥っていました。(マタイの福音書22章34-40節p47)
 主イエスが彼らの目の前におられても、彼らは自分の罪を認め、悔い改めることができませんでした。そのため、主を信じ、受け入れることができなかったのです。

 2.主イエスの真の家族
 主イエスが、群衆に話しておられるとき、主の母(マリア)と兄弟たち(ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダ)が「外に立って」いました。(46)         (マタイの福音書13章55節p28)
 彼らは、主イエスのしておられることを伝え聞いて心配になり、やって来たのです。(マルコの福音書3章21節p70)
 「ある人」が主イエスにそのことを伝えます。(47)
 主は彼に言われます。(48)
 さらに主は「弟子たちの方に手を伸ばして」語られます。(49)
 悪い時代にあっても、主イエスの招きに応じ、主のみもとに行き、信じ、従う者たちを主は「天におられるわたしの父のみこころを行う」者と言われます。(50)
 彼らこそ、信仰により天の父なる神様によって結ばれた主イエスの真の家族です。
 神様を父とする家族の中で、主イエスは長子です。 (ローマ人への手紙8章29節p310)
 このとき、主イエスの母と兄弟たちは主と弟子たちの集まりの「外に立って」(46)いました。
 しかし、主の十字架の死と復活の後、彼らは弟子たちと共に歩む者たちへと変えられます。(使徒の働き1章14節p233)  

結 論)教会は、主イエスを信じ、従う者たちの集まりです。
 私たちは、キリストのからだである教会に加えられ、その一部とされている者です。
 神様の御前に出、神様との交わりを持つ、毎主日の礼拝を大切にし、主のみことばを心に留め、父なる神様のみこころに生きる者とさせていただきましょう。
 「神のみこころは、あなたがたが聖なる者となることです。」(テサロニケ人への手紙 第一 4章3a節p411)
 主イエスは弟子たちの方に御手を伸ばされましたが(49a)、主の御手は今も私たちの方に伸べられ、私たちを支えてくださっています。聖霊によって私たちと共におられる主イエスに従い、みことばを宣べ伝え、主を証ししてまいりましょう。