ヨハネの手紙 第一 4章7~21節

聖会1
聖書 ヨハネ15:1-17
説教題 「愛を知る」
説教者:小泉 創 牧師(仙台国見教会牧師)

愛のない者は神を知りません。神は愛だからです。神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。 Ⅰヨハネ4章8-9節 (p.483)

1.私たちの罪のために 

 12弟子のひとりゼベダイの子ヨハネと兄弟ヤコブはイエス様にボアネルゲ(雷の子)と名付けられました。ヨハネの福音書の中で、彼は自分のことを「イエスの愛しておられた弟子」と書いています。ヨハネの手紙、ヨハネの黙示録もこのヨハネが書いたと考えられます。 ヨハネは3年半イエス様と寝食を共にしましたが、十字架を通して自分の罪深さを知り、その罪をゆるしてくださる神と出会いました。
 罪深さについてはローマ1:29-32、マルコ7:21-22にリストがあります。罪の力は深い闇として私たちを囲み、からみつき、しばりつけます。そして神から引き離し、お互いを分断させます。
 罪の赦しはキリストの十字架によってのみ与えられます。それは神様の一方的な恵みです。キリストの十字架の死とよみがえりによって、完全にゆるされる。その確信をまず確認しましょう(1ヨハネ1:9)。 

2.愛する者となる
 罪をゆるされたものは、神のものとなり、新しくされた者です。父・御子・御霊の神の愛の交わりの中に入れられました。神を愛し、人を愛する人生がはじまったのです。完成したわけではありません。成長を必要としています。
 ヤコブとヨハネのふたりは「ボアネルゲ(雷の子)」とよばれていました。そのヨハネがイエスを通して、愛を知ったと言っています。誰よりも偉くなりたい、イエス様の右と左に座らせてほしい、と願っていた彼らが、十字架を通して、愛し合う生涯に招き入れられたのです。
 愛するとはどういうことでしょうか。愛のない自分ということを突きつけられて戸惑うこともあります。それでも神は私たちを取り巻くさまざまな問題の中に、クリスチャンを通していのちを注ごうとしておられます。
 キリストは私たちが神の愛にとどまるように、そして加わるかたが起こされるように願い、私たちをさまざまなところに遣わして下さっています。普段の日常生活の中で、出会う方に関心を持ち、祈り、小さな愛のわざを続けることができますように。イエスのいのちがけの愛で愛された私たちが、イエスのように愛する者となるように、主の助けを祈りましょう。