マルコの福音書10章13~16節

イエスはそれを見て、憤って弟子たちに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」  マルコの福音書10章14-15節 (p.87)

序 論)ある時、人々が主イエスのみもとに子どもたちを連れて来ました。(13a)
 主に御手を触れていただき、祝福を受けたいと願ったのです。
 その時に起こった出来事と主の言行を通して示されることは…

本 論)
1.子どもたちを招かれる主イエス
 子どもたちを連れて来た人々が主イエスに近づこうとしました。(「子どもたち」と訳されている原語は、聖書の中では 幼子から12歳の子どもにも使われている。この時の子どもたちの年齢層は様々だったと考えられる。)
 ところが、主と一緒にいた弟子たちがそこに立ちはだかります。
 彼らは、子どもたちを歓迎するどころか、連れて来た人たちを叱ったのです。(13b)
 当時、子どもは大切な存在と思われない傾向がありました。(労働をしないので、役に立たないと思われていた。)
 弟子たちは、子どもたちが主イエスのみもとに来る者としてふさわしくないと考えたのかもしれません。
 また、お話しされる主の妨げになってはならないと思ったのかもしれません。
 しかし、主イエスの御思いは弟子たちとは正反対でした。
 主は彼らが子どもたちの邪魔をしたことを憤り、彼らをお叱りになりました。(14a)
 主イエスは、子どもたちを尊く、とても大切な存在として、招かれました。(14bc)
 そして、「神の国はこのような者たちのものなのです。」と言われます。(14d)
 弟子たちが退けようとした子どもたちこそ、神の国にふさわしい者たちなのです。

2.子どものように神の国を受け入れる
 主イエスは続けて仰いました。(15)では、「子どものように神の国を受け入れる」とは、どういうことでしょうか。
 「神の国」とは、「神様のご支配」と言う意味で、主イエスによる救いにあずかることによって、そこに入ることができます。
 ここでの「子どものように」とは、「子どものように素直で純真で汚れを知らない人のように」ということではありません。
 子どもは、親が与えるものを素直に受け取り、喜びます。
 幼子(乳飲み子)は、親に全面的に頼り、ただ与えられたものをいただくことによって生かされています。
 そのように父なる神様を信頼し、恵みにより頼み、十字架と復活により、救いのみわざを成し遂げてくださった救い主イエス様を心に受け入れることが、「子どものように
 神の国を受け入れる」ことであり、神の国にふさわしい態度なのです。
 主イエスは子どもたちを抱いて、一人ひとりに手を置かれ、祝福の祈りをしてくださいました。(16)
 主イエスは、私たちがご自分のもとに来ることを喜ばれ、私たちを受け入れ、祝福してくださるお方です。  

結 論)主イエスは今も、そして、すべての人をご自分のもとに来るように招いておられます。
 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのもとに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」           (マタイの福音書11章28節p21)
 御子イエス様のもとにまいりましょう。
 疑わず、心配せず、素直になって神の国、救いの恵みを受け取りましょう。
 神様のご愛は変わることなく、私たちに注がれています。
 素直に自分の弱さを認め、父なる神様がお送りくださった主イエスを神の御子、救い主と信じ、心に受け入れましょう。
 「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」 (コリント人への手紙 第二 5章17節p361)
 主イエスの救いにあずかり、神の子とされ、父なる神様に信頼し、祈りつつ歩みましょう。