それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。 イザヤ書7章14節(p1178)
序 論)北イスラエル(エフライム)の王ペカが、アラム(シリア)いう国と同盟を結んで、南ユダ王国に攻め寄せて来ました(BC733年頃、歴代誌第二28章p.796参照)。このとき、ユダ王国は滅亡を免れましたが、同盟の知らせに「王の心も民の心も、林の木々が風に揺らぐように揺らぎ」ました(2)。このとき神様は預言者イザヤに、息子を伴ってユダ王国のアハズ王に会見することを命じられました。(3)
イザヤが伝えたことばを通して示されることは…
本 論)
1、神様に信頼すること
「上の池の水道の端、…行ってアハズに会い」(3)とあるように、アハズ王は長期戦になることを予想し、水場を視察していました。ここに水やものもろのことを案じていながら、神様を頼りにすることに思い至らないアハズ王の姿が示されています。イザヤは王に主の言葉を伝えます。「気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない。…」(4) 彼は王に神様に信頼するように、と告げました。
さらにアラムも、北イスラエルも間もなく滅びる、彼らは、「二つの煙る木切れの燃えさし」(4)に過ぎないとイザヤは告げます。そして、アラムの王レツィンや王ペカの計画が、人からのものであって神の計画ではないので実現しないことを語ります(7-9)。
この預言の通り、アラム(シリア)の首都ダマスコは間もなく滅びました(BC732年)。北イスラエルの都サマリアも10年後(BC722年)に陥落していました。
地上のどのような強大な者も、神の御手の中にあります。それゆえに、現状が人間の目にどれほど、悲観的、絶望的に見えても、神様はその現状を切り開き、変えてくださるのです。
歴史を支配される真の神様を信じきることがアハズに求められました。「あなたがたは、信じなければ、堅く立つことはできない。」(9) このイザヤのことばは、今日の私たちに対しても語られています。
アハズのように人間的な策をあれこれ練るだけではいけません。「人事を尽くして天命を待つ」のでもありません。「やめよ。知れ。わたしこそ神。」(「静まって、わたしこそ神であることを知れ。」口語訳)(詩篇46篇10節 p.980)と言われる神様にまず、祈り求めましょう。
2、インマヌエルの約束
イザヤの警告にも関わらず、アハズは、シリアと北イスラエルが最も恐れていた強国アッシリアに助けを求めました。しかし、それは、ユダ王国の将来を破滅に導く決定的な原因となってしまったのです。
神様は、聞き入れないアハズに再びイザヤを遣わされました(10)。ここに、一度語って悔い改めない者に「さらに」語りかけられる忍耐と愛に満ちた神様のみ姿が表わされています。
「主に、しるしを求めよ。」(11)とイザヤはアハズに向かって語ります。しかし、彼が示した答えは「私は求めません。主を試みません。」でした。(12)
アハズ王と家来たちは、自分たちの政治的な企てを隠すための口実としてこのような敬虔さを装ったのです。それは偽りの敬虔さでした。彼らは主を求めませんでした。
イザヤは、この背信のアハズ王とその側近たちに向かって「あなたがたは人を煩わすことで足りず、私の神までも煩わすのか。」(13)とその激しい憤りをあらわにしました。
そして、しるしを求めないアハズに向かって、神様は自ら彼らにしるしを与えられると告げ、インマヌエル預言をしました。(14)
「凝乳と蜂蜜を食べる」(15)は国が荒れ、農耕生活が出来なくなり、荒野時代のような困窮の時代が来ることを示しています。
さらに困窮の時代が来、「アッシリアの王」がシリアやイスラエルの「二人の王」よりも危険な存在であることとダビデの家にもたらされるさばきが告げられます (16-17)。
しかし、神様が与えられたインマヌエルの約束はユダヤの民にとって希望の言葉として残ります。
「インマヌエル」(神が私たちとともにおられる)は、このときから約700年後、イエス・キリストの来臨によって実現しました。イエス様は、インマヌエルの神として私たちに救いをもたらして下さいました。
特にマタイの福音書では「インマヌエル」が主題として貫かれています。
マタイの福音書1章で、主の使いがヨセフに救い主誕生を告げた後、これが預言の成就であるとして1章23節 (p.2)にイザヤ書7章14節のことばが引用されています。
主イエスは弟子たちに「まことに、もう一度あなたがたに言います。あなたがたのうちの二人が、どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。 二人か三人が、わたしの名によって集まっているところには、わたしもその中にいるのです。」と約束して下さいました。(マタイの福音書18章18-19節 p.37)
結 論) 十字架にかかられ、復活されたイエス様は、弟子たちに「インマヌエル」を約束して下さいました。
「見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」(マタイの福音書28章20節p.64)
主イエスの御降誕、そして十字架と復活によって、救いのみわざが成し遂げられたとき、インマヌエル預言の約束は成就されました。
「インマヌエル(神が私たちとともににおられる)」こそが私たちに与えられる最大の恵みなのです。
アドベントのとき、インマヌエルの恵みをさらに覚え、感謝し、クリスマスに備えるときといたしましょう。