マタイの福音書11章11~19節

まことに、あなたがたに言います。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。しかし、天の御国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。マタイの福音書11章11-12節 (p20)

序 論)バプテスマのヨハネは獄中で、主イエスが本当に「おいでになるはずの方」(救い主)なのか疑うようになりました。(3)
 主イエスはヨハネの弟子たちに答えられます。(4-6)
 その後、主はヨハネについて群衆に語られます。(7-9)

  さらに主が語られることを通して示されることは…

本 論)
1、主イエスを受け入れる者の恵みと幸い

 洗礼者ヨハネは旧約聖書で預言されていた預言者、救い 主の先駈けとなる預言者でした。 (10)(マラキ書3章1節p1633)
 それだけでなく、ヨハネは、その時までにこの地上に生を受けたすべての人の中で最も偉大な者である、と主イ エスは仰いました。(11ab)
 しかし、今、天の御国に招き入れられた一番小さな者でさえ、ヨハネより偉大です、と主は言われます。(11c)
 「天の御国」は原語では「神のご支配」という意味です。
 主イエスが地上に来られ、福音宣教を始められたとき、 天の御国は近づきました。(マタイの福音書4章17節p5)
 主イエスの十字架の死と復活のみわざによって神のご支配は実現したのです。
 主イエスのみことばは、天の御国に入れられる者が受ける恵みと幸いが、洗礼者ヨハネも受けることができない大きなものであることを示しています。
 主イエスによってもたらされる天の御国は、ユダヤの宗 教指導者たちから暴力的な反対を受けていました。(12)
 この後、ヨハネはヘロデ王によって命を奪われることに なります。

2、主イエスを受け入れない人たち
洗礼者ヨハネは、旧約時代を閉じる役目が与えられた預言者であり、マラキが預言したエリヤの再来(同じ様な使命を持った人)でした。(13-14) (マラキ書4章5-6節p1635)
 「この時代」は「この時代の人々」という意味です。(16)
 洗礼者ヨハネと主イエスに対する人々の態度が、広場で 結婚式遊びや葬式遊びをしている子どもたちにたとえて語られます。(16)
 ヨハネや主イエスが「ほかの子どもたち」にたとえられています。そして当時の人々が「…こう呼びかける子どもたち」にたとえられています。(16)
 彼らは笛を吹いても踊らない、弔いの歌を歌っても泣かない自分たちの仲間のことで不平を言います。(17)
 それと同じ様に、人々は禁欲的な生活をしていたヨハネは悪霊につかれている、と批判しました。(18)
 一方、取税人や罪人と言われていた人たちと一緒に食事をしておられた主イエスに対しても悪口を言いました。 (19a)
 いずれにしても、人々は主イエスが彼らの思っていたメシア(救い主)像に反し、自分たちの思いのままにならないので不満でした。
 それでヨハネに対しても、主イエスに対しても非難しました。
 このように当時の宗教指導者たちや多くの人々は主イエスを救い主として受け入れなかったのです。
 ヨハネが悔い改めをもたらす預言者、主イエスが「取税人や罪人の仲間」(19a)として来られたことは「神の知恵」 によるものでした。
 主の教えられた知恵の正しさは、主を受け入れた者たちの結ぶ御霊(聖霊)と行いの実によって証明されていきます。(19b)(ガラテヤ人への手紙5章22-23節p382)

結 論) 12節の別訳は「天の御国は力強く到来しています」です。(p20脚注参照)
 これは主イエスの恵みと救いが、「取税人や罪人」(19a)のように、当時、神から遠いと思われ、蔑まれていた人々に急激に広まっていったことを示しています。
 主イエスの十字架の死と復活、聖霊降臨(ペンテコステ)により、主を信じる人に聖霊が与えられるようになりました。
 主イエスを信じ、従う者は、聖霊により、神ご自身の支配を内にいただく者へと変えられるのです。
 今も主イエスは、私たちを「天の御国」(神のご支配)に入るよう招いておられます。
 主を信じ、神のご支配のもとに歩み続けましょう。