ルカの福音書9章28~36節

ペテロがこう言っているうちに、雲がわき起こって彼らをおおった。彼らが雲の中に入ると、弟子たちは恐ろしくなった。すると雲の中から言う声がした。「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け。」 ルカの福音書9篇34-35節 (p132)

序 論)
主イエスは、三人の弟子(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)たちを連れて「高い山」に上られました。(28)(マタイの福音書17章1節p34)
 山上での出来事を通して示されることは…

本 論)
1、主イエスの栄光の御姿
 
主イエスが祈っておられると、主イエスの御姿が変わり、御顔が太陽のように輝きました。(29) (マタイの福音書17章2節p34)
 御衣は白く光り輝きました。(29)
 この主イエスの栄光の御姿は、ベツレヘムの家畜小屋にお生まれになり、十字架の死に至る主の地上の歩みにおいては隠されていました。
 この主の御姿こそ、本来の御姿です。このことが、一時、三人の弟子たちだけに示されました。
 二人の人、旧約を代表するイスラエルの民の指導者モーセと預言者エリヤが主イエスと語り合っていました。(30)
 二人はそれぞれ旧約聖書の「律法」と「預言者」を代表する人たちでした。
 彼らが主と語っていたのは、主が「エルサレムで遂げようとしている最期について」でした。(31)
 「最期」と訳されているのは、ギリシア語の「エクソドス」(英語ではexodus)という言葉です。これは「外に出ること、脱出、出発」を意味する言葉です。この「最期」は主イエスの十字架の死を意味していました。
 このとき、眠くなっていた弟子たちは、はっきり目が覚め主イエスの栄光と一緒に立っていたモーセとエリヤが見えました。(32)

2、主イエスのみことばを聞き、従う
 モーセとエリヤが主イエスのみもとから去ろうとしたとき、弟子の一人ペテロが主に言います。(33)
 彼は、このすばらしい状態がいつまでも続けばよい、そのためには、主イエス、モーセ、エリヤがここに留まることができるようにすればよい、そんな思いだったでしょう。
 それで「幕屋を三つ造りましょう」と提案しました。
 そのとき、雲がわき起こって彼らをおおいました。(34)
 雲の中から「これはわたしの選んだ子。彼の言うことを聞け」と父なる神様の御声が響き渡ります。(35)
 「これ」は御子イエス様のことです。父なる神様が選ばれた主イエスの言われることに耳を傾けるように、と神様は仰ったのです。
 主イエスがバプテスマ(洗礼)をお受けになったときも、天から御声がありました。(ルカによる福音書3章22節p114)
 主イエスが神の御子、救い主として私たちの罪を贖うために十字架に向かう決意をなさったこの特別な時に、それを父なる神様が承認し、保証してくださったのです。
 天からの御声が聞こえた後、主イエスだけがその場に残っておられました。(36)
 ペテロたちは、自分たちが見聞きしたこの出来事を他の弟子たちには話しませんでした。
 しかし、彼はこのときの出来事を生涯忘れませんでした。 (ペテロの手紙 第二 1章16-18節p474)

結 論) 「脱出、出発」を意味する「エクソドス」は旧約聖書の「出エジプト」を表すときにも用いられます。
 モーセが神の御力によって、イスラエルの民をエジプトから解放した(脱出させた)ように、イエス・キリストは十字架の死と復活によって私たちを罪から救い出してくださいました。
 今、主イエスは聖霊によっていつも私たちと共におられます。
 神様は、主イエスのことばを聞け、とお命じになりました。(35)
 それは主のみことばがそのまま、神のことばであり、主の言行に神様のご意志が示されていることを意味しています。
 私たちは、主のみことばを聞き続け、主に従う歩みを続けてまいりましょう。