詩篇23篇1~6節

主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。主は私を緑の牧場に伏させ いこいのみぎわに伴われます。…まことに 私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが 私を追って来るでしょう。私はいつまでも 主の家に住まいます。                  詩篇23篇1-2、6節 (p954)

序 論)
この詩篇はイスラエルの王ダビデが、自分の生涯の様々な経験を思い出しながら歌った詩だと言われています。
 この詩篇の中で、ダビデは神様と自分の関係を羊飼い(牧者)と羊にたとえています。
 羊飼いとして、イスラエルの民を導き守ってくださる神様に対する感謝と信頼に満ちた詩です。
 この詩篇のことばを通して示されることは…

本 論)
1、神様は羊飼いとして、民を守り、導かれる
 
詩人はここで神様を「私の羊飼い」と歌っているように、 神様との個人的な関係を告白しています。(1)
 かつては羊飼いであったダビデがここでは自分を羊の立 場に置いています。
 羊は弱く、迷いやすい動物です。羊飼いがいなければ生きることができません。
 詩人は、自分もそのような存在であり、羊飼いである神様に自分の全存在をゆだねていると歌います。
 そして、「私には乏しいことがありません」と、主が必要を満たしてくださるお方であると告げます。
 「緑の牧場」(2)は、柔らかい草の生えている場所です。 「いこいのみぎわ」(2)は、疲れと渇きをいやす水が豊かにある所です。
 羊飼いである神様は、民を危険から守り、安息の地に導かれます。
 「主はわたしのたましいを生き返らせ」(3)とは、霊的な食物である神のことばによって養ってくださることを示しています。
 「死の陰の谷」(4)は、狭く険しく見通しのきかない場所ですが、そのような苦しみの中を歩むときにも主が共におられます。
 ここでの「むち」は先に鉄の金具の付いたこん棒で、獅

 子や狼を追い払うために用いられました。「つえ」は倒れ そうな羊を支えるために用いられました。(4)
 ここで歌われているように神様は、どこまでも民を守られ、導かれます。

2、主の慈しみと恵みが伴う
 「私の敵をよそに…食卓を整え」(5)は、主の特別な御守りを示しています。
 遊牧民の生活において、逃亡者は出会った天幕の主人の行為によって安全を保障されていました。
 ダビデも自分の生涯の中で、このような主の守りを体験しました。(サムエル記 第二 17章27-29節p572等)
 当時、主人が客人の「頭に香油を注ぐ」(5)ことは、パレスチナ地域では客を歓迎する時の習慣でした。
 「私の杯は あふれています」(5)は、豊かなもてなしを受けている様子を示し、主のあふれる恵みを歌っています。
 これは、主に従う者の歩みを豊かにしてくださることも 表しています。
 「私のいのちの日の限り」(6)の直訳は「生涯のあらゆる 日々」です。順境の時も逆境の時も、主に従う者に「いつくしみと恵み」(6)が追って来ます。
 「主の家」は、神様を礼拝する場、神様との交わりの場  を示しています。

結 論) 主イエスは私たちにとって真の羊飼いです。主は私たちを罪から救うために十字架でご自分のいのちを捨ててくださいました。
 「私は良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」(ヨハネの福音書10章11節p202)
 主イエスの十字架と復活による贖いによって、私たちは罪赦され、父なる神様と私たちとの交わりが回復し、永遠のいのちに生かされて歩む道が開かれたのです。
 先人の信仰にならい、主イエスを信じ、従う道を共に歩んでまいりましょう。

(参考)
 本日の交読詩篇 詩篇90篇
 「あなたは人をちりに帰らせます」(3節p1029)は創世記3章19節(p5)の「あなたは土のちりだからちりに帰るのだ。」のことばとの関連で歌われている。
 「人の子らよ 帰れ」(90篇3節)は神様に立ち帰るという意味も込められている。

(参考)

  『ハイデルベルク信仰問答』
  問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。

  答え わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、
わたしの真実な救い主、イエス・キリストのものであることです。
この方は、ご自分の尊い血をもってわたしのすべての罪を完全に償い、
悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。
また、天にいますわたしの父の御旨(みむね)でなければ髪の毛一本も
落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。     
実に万事がわたしの救いのために働くのです。そうしてまた、
御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために
生きることを心から喜びまたそれにふさわしくなるように、
整えてもくださるのです。
                (吉田隆 訳)