詩篇17篇1~15節

あなたの右の手で 奇しい恵みをお示しください。向かい立つ者どもから 身を避ける者を救う方。瞳のように私を守り御翼の陰にかくまってください。私を襲う悪しき者から私を取り巻く貪欲な敵から。     詩篇17章7-9節 (p946)

序 論)
この詩は、ダビデがイスラエルの初代の王であるサウルから追われていたときに歌った詩ではないかと言われています。
 この詩篇の祈りのことばを通して示されることは…

本 論)
1、神様を呼び求めるダビデ
 詩人は自らの潔白を主張し、自分を取り囲む敵から救わ れることを願って神様に訴えます。(1-2)
 彼は、自分が神の御前に正しい言行を貫いて歩んで来た という自負がありました。(3)
 ダビデは神のことばに従い、「無法者が行く道」を避けて歩んでいました。(4-5)
 しかし、彼は人から誤解され、命を狙われました。
 詩人はあわれみと救いを求めて神様に祈ります。(6)
 ここでの「奇しい恵み」(7)とは、大きな危険の中にある者を救い出される特別な恵みです。
 「あなたの右の手」(7)は、神様の御力を意味しています。  御力によって、「向かい立つ者ども」(「敵」)から救ってください、と祈ります。(7)
 「瞳(ひとみ)」(8)は、体の中で、まぶたやまつ毛、涙等の働きによって最も注意深く保護されている器官の一つです。
 「御翼の陰にかくまう」(8)は、親鳥が子鳥やひな鳥を守る姿を示しています。かくまわれたひな鳥は、たとえ嵐の中であっても安らぐことができます。
 詩人は自分を瞳やひな鳥にたとえて、敵からの主の御守りを祈っています。(9)
 ダビデは、弱い自分を神様は守ってくださると信じて祈り続けました。

2、主のみ顔を仰ぎ見る
    10-12節は、ダビデを追う敵の姿が記されています。  「飢えた獅子」や「若い獅子」(12)は強力な支配者のたとえで、ここではダビデの命を狙うサウル王のことを示していると受け止めることができます。(サムエル記 第一 23章25節p523等)
 「主よ 立ち上がり…」(13)とダビデは神様が御力を現わしてくださることを祈っています。
 「あなたの剣」(13)は神のことばによる励まし、という意味で用いられています。
 「相続分が地上のいのちであるこの世の人々」(14)は  真の神様を敬わず、信仰より物質的なことを尊重する人たちのことです。
 彼らの影響を受けたり、仲間にならないように「私のたましいを助け出してください」(14)と詩人は神様に祈ります。
 「義のうちに」(15)は自分の義ではなく、全き義なるお方である神の恵みによって、という意味です。
 「御顔を仰ぎ見る」「御姿に満ち足りる」は、共にいてくださる主との交わりの中で歩んでいくことです。
 朝ごとに、そして日ごとに私たちは主との交わりを深め 主からの力と平安をいただいて歩みます。

結 論) 「目覚めるとき…」(15)は夜の眠りからの目覚めを意味すると共に「死よりの目覚め」すなわち「復活」も表していると受け止められてきました。
 私たちもやがて地上の生涯を終えて、御国に移されるとき、主とお出会いするのです。(コリント人への手紙 第一 13章12節p346)
 私たちを、瞳のように大切にしてくださり、御翼の陰に かくまってくださるお方、神様にお頼りし、日々、主との交わりを深めつつ歩みましょう。

(参考)
   「人生の旅路にも」歌詞
 1 人生の旅路にも 雨降り風吹き
   憂いに心の 閉ざさるる日あり 
 2 十字架の重きに この身 耐え難く
   埃(ほこり)にまみれし 足はいと重し
  3 岩にます主つねに 近くましたまえ
  山を登る日も 野辺にあるときも
(折り返し)
   信仰奮い立たせ 岩なる主イエスに
  よじ登り 憩わん 力満つるまでは

「神こそ わが岩 わが救い わがやぐら。
 私は決して揺るがされない。」
                (詩篇62篇2節p994)

「だれも、すでに据えられている土台以外の物を据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。」 (コリント人への手紙 第一 3章11節p329)