マタイの福音書10章1~17節

どの町や村に入っても、そこでだれがふさわしい人かをよく調べ、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。その家に入るときには、平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしければ、あなたがたの祈る平安がその家に来るようにし、ふさわしくなければ、その平安があなたがたのところに返って来るようにしなさい。マタイの福音書10章11-13節 (p18)

序 論)
この章では主イエスが十二使徒を任命し、派遣されること、主が彼らに語られた教えが記されています。
 主は「羊飼いのいない羊の群れのように、弱り果てて倒れていた」(9章36節)群衆を深くあわれまれ、使徒たちを遣わされます。
 十二使徒の任命と派遣に当たって主がなされたことと語られたことを通して示されることは…

本 論)
1.十二使徒の任命と主が命じられたこと
 主イエスは十二弟子を呼び、権威を与えられます。(1)
 「十二使徒」(2)の「使徒」は「遣わされた者」という意味で、派遣なさる主から権威を授けられ、代理として任務を果たす者です。
 2-4節に十二使徒の名が記されています。
 ペテロ、シモン、アンデレ、ヤコブは漁師でした。(2) (マタイの福音書4章18-22節p6)
 この福音書を書いたマタイは自分のことを「取税人」と記しています。(3)
 「熱心党シモン」(4)はユダヤの国をローマの圧政から救い出そうとする熱烈な愛国者だったと考えられます。
 主イエスは十二使徒を選ばれる前に、夜通し祈られました。(ルカの福音書6章12-13節p120)
 主は彼らに命じられます。(5a)
 まず、彼らに異邦人やサマリア人のところに行かず、「イスラエルの家の失われた羊たちのとこころ」に行くように指示されました。(5b-6)

2.主が遣わされる者
 使徒たちの働きの内容は、「天の御国」(神の国)の到来の告知や癒し、悪霊追放でした。(7-8a)
 続いて無報酬で働くこと、金銀やたくさんの持ち物を持たずに行くように命じられました。(8b-10a)
 ここでの「袋」(10)は、生活に必要なものや食物を入れておくものでした。
 主のために働く者は必要なものも与えられます。(10b)
 次に訪れた地で「ふさわしい人」を探し、そこに拠点を定めること(11)、また「平安を祈るあいさつ」(12)をしてその家に入るように命じられました。
 「平安」は原語では「シャローム」で「平和」をも意味することばです。
 「平安を祈る」ことは祝福を祈ることでもあります。
 その家の人たちが使徒たちと福音のメッセージを喜んで受け入れるなら、その家に平安と祝福がもたらされます。(13)
 しかし、それを受け入れない場合は、その平安は使徒たちに戻されます。
 そして、主イエスは最後に、彼らを受け入れない家や町を後にするときは「…足のちりを払い落しなさい」(14)と命じられました。それは「絶縁」を示す行為であり、今後のさばきのしるしでもありました。
 御国の福音を受け入れるか、拒むか、それによって「さばきの日」に起こることは厳粛です。(15)
 「ソドムとゴモラの地」(15)は、かつて住民の罪のゆえに滅ぼされました。(創世記19章24-25節p29)
 当時、ソドムの人々は、町が滅ぼされる前に、訪ねて来た「二人の御使い」を受け入れませんでした。 (創世記19章1-14節28)
 御国の福音を伝える使徒たちを退けることは、さらに重いさばきをもたらすことになる、と主は言われます。(15)
 旧約・新約聖書を通じて、これらの二つの町は、罪悪とそれに対する神のさばきを示すものとして引用されています。(イザヤ書1章9節p1167、ユダの手紙7節p489等)

結 論) 主イエスの十字架の死と復活、昇天、神の右の御座への着座の後、聖霊が弟子たちに降りました。(使徒の働き2章1-4節p233)
 その後、主が全世界に遣わされた使徒や弟子たち、約二千年間の伝道者や宣教師、牧師、信徒たちの宣教によって福音が全世界に伝えられ、教会が各地に建て上げられました。
 今、私たちも主イエスによって「この世」に遣わされているのです。
 私たちは、それぞれの家庭や職場や学校等に遣わされ、そこに置かれています。
 そして、主は聖霊によっていつも私たちと共にいてくださいます。
 弟子たちが平安を祈る者とされたように、私たちも福音を告げ知らせ、主にある平安、神との平和をもたらす者として遣わされてまいりましょう。