イエスがこれらのことを話しておられると、見よ、一人の会堂司が来てひれ伏し、「私の娘が今、死にました。でも、おいでになって娘の上に手を置いてやってください。そうすれば娘は生き返ります」と言った。マタイの福音書9章18節 (p16)
序 論)主イエスがヨハネの弟子たちに話しておられると(15-17)、一人の会堂司(会堂管理者)が主の御前にひれ伏しました。(18)
彼は自分の娘を生き返らせていただきたい、と主に願いました。
その後、起こった出来事と主イエスの言行を通して示されることは…
本 論)
主は女性の病を癒され、交わりを求められた
会堂司の言葉を聞かれた主イエスは立ち上がられ、彼に ついて行かれました。(19)
弟子たちも従いました。
途中、十二年間、婦人病で苦しんでいた女性が、主のうしろから近づいて、御衣の房に触れました。(20)
彼女は、病だけでなく、不正な医者からもひどい目にあわされて苦しんでいました。(マルコの福音書5章26節p75)
当時、そのような病の人は、人と交わることも、礼拝に 出ることも許されていませんでした。(レビ記15章25節p205)
彼女は、最後の望みを持って主の背後から近づき、房に そっと触れたのです。(21)
主イエスは振り向かれ、御声をかけられます。(22abc)
主は彼女のこれまでの大きな苦しみ、悲しみをすべてご存じでした。
その時から彼女は癒されました。(22d)
マルコの福音書は、主イエスが群衆の中から彼女を見つけ出そうと探されたと告げています。
彼女は主イエスの御前に出てひれ伏し、これまでのことや主の御衣の房に触れた経緯を正直に告げました。 (マルコの福音書5章32-33節p75)
主は彼女の病が癒されることだけでなく、一対一の人格的関係、交わりを求められたのです。
主イエスは彼女との交わりを喜ばれたことでしょう。
2.主は少女の手を取られ、彼女は起き上がった
その後、主イエスは会堂司の家に着かれました。(23) 主は少女の手を取られ、彼女は起き上がった
家には「笛吹く者たち」(葬儀のときに呼ばれていた)や群衆が集まっていました。
主は「…その少女は死んだのではなく、眠っているのです」と言われます。(24)
それを聞いた人々は主をあざ笑いました。
群衆は外に出されます。
主イエスは家族や弟子たちと少女のもとに行かれ、彼女の手を取られました。(25)
主は彼女に「タリタ・クム」(「少女よ、起きなさい」という意味)と語りかけられました。(マルコの福音書5章41節p75)
すると彼女は起き上がったのです。(25)
主イエスが成されたみわざに関する話はその地方全体(ガリラヤ地方全体)に広まりました。(26)
ここでの「眠る」は死んでいる状態のことを言われています。「起き上がる」は生き返ることを意味しています。
ここで主イエスが彼女を生き返らせられたのは、終わりの日にすべての人を復活させられることの予表でした。
また「起き上がる」(25)の原語(ギリシア語)には「復活する」という意味があります。
主イエスは十字架で死なれ、三日後に復活されました。父なる神様は私たちを罪から救い、永遠のいのちに生かすために御子イエス様を地上に送られたのです。(ヨハネの福音書3章16節p180)
結 論) 主イエスは、彼女が主を信頼し、求め、触れたことを「あなたの信仰」(22)と言われました。
会堂司も主イエスの御前に信仰を持ってひれ伏しました。(18)
主は病気だった女性に「娘よ、しっかりしなさい。…」と励まされました。(22)
彼女は、主イエスとの出会いと語りかけられたみことばを生涯忘れず、新たな人生を歩んだことでしょう。
主イエスは、私たちに対しても交わりを持つことを求めておられます。
ヨハネの福音書17章3節(p220)の「知る」は「交わりを持つ」という意味が含まれています。
さらに主イエスの御前に出、祈りや黙想を通して主との交わりを深めつつ、歩み続けましょう。