しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。…」 マタイの福音書8章8節 (p13)
序 論)マタイの福音書5章~7章は主イエスの山上の説教のみことばが記されています。続く8~9章は主のみわざと教えが記されています。
今回の箇所で告げられている主イエスのなされたみわざとみことばを通して示されることは…
本 論)
1.主がいやし、きよめてくださる
山から下りて来られた主イエスのみもとにツァラアト (「重い皮膚病」(新共同訳))に冒された人が来ました。(レビ記13章45-46節p199)
彼は主の御前にひれ伏して、願いました。 (1-2)
「…お心一つで…」(2)の原文の直訳は「もし、あなたが望まれるなら(意志されるなら)…」です。
主イエスは彼に触れられ、語りかけられました。(3)
「わたしの心だ…」の原文の直訳は「わたしは意志する」です。
彼の病はきよめられました。(3)
主が彼に「だれにも話さないように気をつけなさい」(4)と言われたのは、ご自身のことを正しく理解しないまま、人々が騒ぐのを避けられるためだったと考えられます。
主イエスは彼に自分の体を祭司に見せ、ささげ物をして 社会復帰できるように配慮なさいました。(4) (レビ記14章1-2節p200、10節、21-22節p201)
続いて主はカペナウムに入られます。(5)
カペナウムはローマ軍の駐屯地の一つでした。
その部隊の百人隊長が主イエスを訪ねて来ます。(5)
彼は自分のしもべの病のことを伝えました。(6)
「懇願し」(5)とあるように彼の癒しを強く願ったのです。
主はそれに応じられ、彼のもとに行こうとされました。(7)
2.主のみことばを求める
ところが百人隊長は主イエスのおことばをいただければ 自分のしもべは癒されます、と言いました。(8)
その理由として、ローマ皇帝の権威の下にある自分のことばに服従する兵士たちの例を挙げました。(9)
真に権威ある者ならことばだけで、兵士が服従することを彼は、自分の軍人としての経験から学んでいたのです。
彼は、主イエスが権威あるお方であることを地上で告白した最初の人でした。
主は異邦人である彼のことばに驚かれ、その信仰を褒められました。(10)
主はなぜ、百人隊長を褒められたのでしょう。
彼は、主イエスが神の権威を持っておられるお方である ことを知り、畏れを抱いていました。
さらに、彼は自分が神から遠い異邦人の一人であること もわかっていました。
それで彼は「主よ、…資格は、私にはありません。」(8) と言ったのです。
しかし、彼は自分のしもべを何としても助けたいと願い 主イエスのみもとに向かい、みことばを求めました。
主はそのことを褒められたのです。
やがてこの百人隊長のように多くの異邦人が「東からも 西からも」(全世界から)主イエスのもとに来て、天の御国で「アブラハム、イサク、ヤコブ」(イスラエルの父祖たち) と祝福された交わりを持つときが来る、と主イエスは語られます。(11-12)
神様は、自分たちは選民だとうぬぼれ、主イエスを受け 入れようとしない「御国の子ら」(イスラエルの民)よりも主を畏れつつ、信仰をもって主の御前に出、求め続ける 「多くの人」(異邦人)を顧みてくださるのです。
結 論) ツァラアトに冒された一人のユダヤ人も異邦人(ローマ人)の百人隊長も主イエスに癒しやみことばを求めました。
主は彼らに語られ、癒されました。(3、13)
ユダヤ人も異邦人も、神様から見れば罪の下にある者です。(ローマ人への手紙3章9節p301)
私たちも、自分の罪深さを知るなら、神様の御前に立つ「資格のない者」であることを示されます。
しかし、そのことを認め、それでもなお主イエスを信じ、求めていく者を主は顧みてくださるのです。
畏れと信仰をもって神の御子イエス様の御前に出、主ご自身とみことばを求めてまいりましょう。