そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。 ヨハネの福音書14章16-17節 (p214)
序 論)受難週の木曜日の夜、主イエスは弟子たちと過越の食事をされた後、彼らに話されます。彼らの使命や主に願い求めることを語られた後、聖霊について話されます。
主のみことばを通して示されることは…
本 論)
1.もう一人の助け主
主イエスがここで言われる「わたしの戒め」(15)は互いに愛し合いなさいという「新しい戒め」(13章34節p213)です。
御子イエス様が願われると父なる神様は弟子たちに「もう一人の助け主」を送ってくださいます。(16)
後に弟子のヨハネはイエス・キリストを「助け主」と言っています。
「…しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父(みちち)の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。」 (ヨハネの手紙 第一 2章1節p478)
「もし、罪を犯す者があれば、父のみもとには、わたしたちのための助け主、すなわち義なるイエス・キリストがおられる。」(ヨハネの第一の手紙2章1節 口語訳)
今、主イエスは父なる神の右の御座におられ、私たち一人ひとりのためにとりなしておられます。(ローマ人への手紙8章34節p311)
そして、主イエスはここ(ヨハネの福音書14章16節)では、聖霊のことを「もう一人の助け主」と言われています。
「真理の御霊」である聖霊は主イエスを信じる私たちといつまでも共にいてくださり、私たちの内にいてくださいます。(17)
2.助け主なる御霊の働き
さらに主イエスはまるでご自分が弟子たちの父であるかのように語られます。(18a)
(ここでの「孤児」は頼る者を失い、どこに向かえばいいのかわからなくなっている人達、の意味で言われている。)
主はこの後に起こる聖霊降臨とご自身の再臨によって弟子たちのところに「戻って来る」ことを約束されました。(18b)
主イエスは十字架にかかられた後、復活されます。そして40日後に父なる神のみもとに行かれます。 (使徒の働き1章3-11節p232)
世の人はもう主イエスを見ることはできません。しかし、主を信じる者は、生ける主と共に生きるのです。(19)
ここでの「その日」は、聖霊降臨日(ペンテコステ)以降のときです。(20)
主イエスを信じる者には聖霊によって父なる神様と主イエスが内にいてくださり、復活のいのちに生かしてくださいます。
主イエスは聖霊によって私たちの内に住んでくださるのです。
結 論)「わたしの戒め」(「互いに愛し合いなさい」という戒め)を保ち、守る人は主イエスを愛する者です。(21)
主を愛する者を父なる神様と御子イエス様は愛してくださり、主ご自身の臨在(共にいてくださること)を現わしてくださいます。
主イエスは昇天され、神の右に着座されます。
「… 天に昇り、全能の父なる神の右に座し給えり。 …」(使徒信条)
そのことにより聖霊が弟子たちに降ります。(使徒の働き2章1-4節p233)
もう一人の助け主、聖霊によって教会が誕生しました。
神様は主イエスを信じる私たちに聖霊を与えてくださいます。主を信じる人たちの集まりが教会なのです。
父なる神様、御子イエス様、聖霊の三位一体の神様のご愛と御守りと導きの中、共に歩んでまいりましょう。
(参考)
ヨハネの福音書14章16節の「助け主」とヨハネの手紙 第一2章1節の「とりなしてくださる方」(新改訳2017)の原語(ギリシヤ語)はどちらも「パラクレートス」(「傍(かたわ)らに呼ばれる者」)。
「パラ」は「側(そば)で」、「傍(かたわら)で」「クレートス」は「呼ぶ」という意味の言葉から派生した言葉。
日本語では「慰め主」とも訳されている。