ヨハネの福音書19章17~24節

ピラトは罪状書きも書いて、十字架の上に掲げた。それには「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書かれていた。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。それはヘブル語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ヨハネの福音書19章19-20節 (p.225)

序 論)
総督ピラトは主イエスを十字架刑にすることを決め、祭司長たちに引き渡しました。(16)
 ここでの「彼らに…、彼らは…」(16)は祭司長たちのことを指しています。そして、実際に十字架刑を執行するのはローマの兵士たちでした。
 主イエスの御姿と主を十字架にかけることに関わった人々の言行を通して示されることは…

本 論)
1.すべての人のために
 刑場があったのは「どくろの場所(ヘブル語ではゴルゴタ)」と呼ばれる丘でした。(17)
 主イエスは「自分で十字架を負って」そこに向かわれます。(当時、刑を受ける囚人は十字架の横木を自分で背負って刑場に行っていた。)
 しかし、この言葉は同時に、主イエスは自らご自分のいのちを捨てられるということも示しています。 (ヨハネの福音書10章18節p202)
 主イエスは、他の二人の犯罪人といっしょに、その間にはさまれるように、真ん中に十字架につけられました。                        (18)
 その人が処刑されるに至った罪状を書いて、それを犯罪人の頭上高く、十字架の上に掲げるのが、当時の慣例でした。
 ピラトは、主イエスがかけられた十字架の上に「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」と書いた「罪状書き」を掲げました。(19)
 多くのユダヤ人がこの罪状書きを読みました。
 それは「ヘブル語、ラテン語、ギリシア語」で書かれていました。(20)それは、当時の地中海周辺地域で用いられていた言語でした。
 ピラトはすべての人に読めるように、そうしたのでしょう。しかし、このことは、主イエスが全世界のすべての人のために十字架にかかられたことを示しています。(ヨハネの福音書12章32-33節p209)

2. 衣服を分ける兵士
 その罪状書きの言葉を読んで、ユダヤ人たちは腹を立て ました。
 それで祭司長たちは、ピラトに「この者はユダヤ人の王と自称した」と書き換えるように要求します。(21)
 しかし、この時のピラトは頑として譲らず、「私が書いたものは、書いたままにしておけ」と言い張りました。(22)

  彼がこう言ったのはおそらくユダヤ人たちへの腹いせ からだったことでしょう。
 でも、ピラトが書いたこの言葉、「ユダヤ人の王、ナザレ人イエス」は、主イエスがユダヤ人だけでなく、すべての人の王であることを示す、決して変わらない真理の言葉でした。
 主イエスと二人の犯罪人の十字架刑に携わった兵士たちは四人でした。彼らは、その仕事の見返りとして、犯罪人の着物を取ることができました。
 彼らは主イエスの上着を取って四つに分け合いました。(23)
 しかし、下着は、だれか一人の所有となるように「くじ引き」をすることにしました。(23b-24)
 彼らの行いによって、詩篇22篇18節(p953)の預言 の言葉が成就したのです。(詩篇22篇は、ユダヤ人の間で、メシア(救い主)の苦難を預言する詩篇として知られていた。)

結 論)「ナザレ人イエス」は、神の御子イエス様が人となられ、地上にお生まれになり、人として苦しみを受けられたことを示しています。(へブル人への手紙4章15-16節p441)
 総督ピラト、祭司長たち、ローマの兵士たちのそれぞれが気づかずに行ったことによって神様の救いのご計画が成就していきました。
 主イエスを十字架につけた彼らは、すべての人の代表でもあります。
 主はすべての人を罪から救うために十字架にかかられたのです。それによって私たちの罪は赦されました。
 十字架で死なれ、三日後に復活された主イエスは、私たちの真の王であられるお方です。
 主イエスを私の救い主と信じ、私が従うべき真の王として心に受け入れて歩みましょう。
 このレントの時、さらに十字架の主を仰ぎ、主との交わりを深めてまいりましょう。